Diary

結構歴史ある日記のページでございます。

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 更新中断して、更新再開して、悩んで悩んだ日記  

2007年6月30日   何を更新しようかな。

 ホームページ更新の癖をつけたいヤマナカです、こんにちは。やっぱり、いいもんですよね、これ。

 ブログとかを導入しようかとも思うのですが、なんか自動的という感じが好きじゃない。って感じで、とにかく更新だ。手近なところではやはり旅日記か?それとも野球かな、とか思いますが、やっぱり食の殿堂あたりと、Theaterを何とかしたい。旅って旅は最近してないし、思い出すだけの情熱もない。そして、野球も見れてないので。うーん、寂しい生活だ。あ、あとは馬か。もう、10年もたつんですね、うちわワールド。孔雀とか、攻めとか、いろいろやったもんですねえ。世紀まで超えて。

 学生時代の日記とかを読むと、完全にブログみたいなもので、日々あることをただ書いているだけの羅列。社会人になってからの日記には愚痴と自分を励ます台詞。総じて面白いのは、暗いときほどつとめて「頑張る」とか書いていて、たいしたことがないときには「もうダメ」とか書いていること。人間そんなもので、結局楽なときでも、つらいときでもある意味で楽しいんだろうし、何処かつらいのだろうなあ、と思うのだ。だったら、今ある普通のことを楽しくするために、ある程度つらい思いもしないといけないとか、思うのです。

 結局、どれだけ笑ったか、が僕の人生の価値なんだろうと思うから、とにかく笑うためには、怒って、泣いて、ため息ついて、叫んで、殴って、蹴飛ばしてやって、それで笑ってやろうと思うのです。苦労すりゃいいんだ、まだまだ。何もないのに笑えるほど豊かな心は持ってないから。ひるがえせば、怒らせて、泣かせて、ため息つかせて、叫ばせて、殴らせて、蹴らせてもいいから、笑わせられる自分でありたいなあ、と思うのです。一人じゃあ、生きられないから、頑張って、頑張るのだ。

 ホームページは常に自分用。何かを書いて残しておくだけでなく、自分を磨くツールでもある。有効に活用しなければ。

 有効に活用するためには、一体何を書いたらいいのだろう。久しぶりにキーボードを打つ手が踊っている。創作意欲は尽きない。クリエイティビティーが復活した僕なら、そして経験をつんだ僕なら、今までにはない何かを作れるに違いない。

 仕事も頑張る。余暇も頑張る。自分を頑張る。そうでなければ、僕じゃない。

2007年6月29日   今までとあまり変わらないまま、でも確実に勢いを増して、復活!!

 扉は開かれた、山中です、こんにちは。なんか、あまりにもあっさりと限界だと思っていた扉を開けてしまいました。空けた向こう側の世界は、今までとまったく変わらない風景があって、なんかこんなものかあ、とがっかりしたような。でもそれならばまだいけるだろうと、確信を持てたような。今までどおり、行ける所まで行く。自分で行けないと感じているところにも、あえて足を踏み入れる。そういう勇気を得て、進んでます。笑っていなければならない、と思った瞬間に、扉を開ける勇気を得た。立ち上がったら、扉は開いていた。必要なのは勇気だった。カギなんか最初から持っていたのに、出さなかっただけなんだ。カギってのは勇気だったんだ。

 

 もう30になるような人間が書く文章じゃねえなあ…(笑)。

 ってなわけで。改めましてこんにちは、ヤマナカです。

 いろいろと失っていたものがあるなあ、と思っていました。たぶんそれが、可能性に対する挑戦に自分で勝手に限界を作っていた、とかそういうものだと思ってましたが、単純にどうやらクリエイティビティー(創造性)が足りないらしい。たぶん、それは社会人になって惰性で生きてきたからなんだと思います。最近急に落ち込んで、いそいそとホームページを作っている最中に、それはどうやら足りないのではなく、発揮していないだけなんだなあ、とか思いはじめました。こういう理屈っぽい文章をやたらと長く書ける才能ってのが僕にはある。それが、事象を説明するものではなく、自分の感情を説明するものとして、「理屈」を使えるクリエイティビティーが、10代のころ、20代前半のころの僕にはあったわけで、だからどんなに疲れていても、毎日楽しかったわけです。

 それが、いつの間にか、それはそういうものだとあきらめるようになってしまった。僕は子供のころからなんにでも理由をつけたがる性格だったので、結構それで引き出しが多くなったもんなのですが、引き出しが多くなった結果、考えること自体しなくなってしまったようなのです。考えているつもりが、「言葉遊び」に終始してしまった。これが僕のいわゆる「ポテンシャル」に限界をきたしてしまったということのようなのです。

 でも、「笑ってなければいけない」という十字架を背負う覚悟を決めた瞬間、「それはそういうものだから仕方ない」で説明することが出来なくなりました。だって、笑わなければいけないから、後付けでも何でもいいから、それに「理由」をつけ、「納得」出来ないといけない。そうじゃないと笑えない。無理に笑うと疲れる。だから、考える。考えることこそきっと僕の原点。考えることこそ、きっと僕の「創造性」。だって、センスねえんだもん、残念なぐらい、センスねえんだもん、オレ。

 そういうわけで、クリエイティビティー復活のためには何か始めてみよお!と言うことで、事務作業をふやすことにしました。もともと事務作業が嫌いな私ですが、それは時間に追われているからであって、時間に終われていなければきっと僕の創作意欲を高めるに違いないと思っているわけでございます。

 で、事務作業を始めた結果、事務作業が嫌いなくせに、事務作業が得意な僕はあっという間に宿題を終わらせてしまい、そして途方にくれながら、ホームページをいじる。珈琲を飲みながら。

 帰ってきている。僕が。

 ヤマナカ、復活です。経験と勢いを武器に、今までより勢いを増して。これならきっと戦える。これならきっと、笑っていられる。これならきっと頑張れる。頑張り続けてみせる。

 いくぜ!!

2007年6月27日   自分で思っているより疲れている。

 そんなに疲れてないと思ったら、気が付いたらどっと疲れが出てきてしまった山中です、こんにちは。精神的に傷んでいるときは、疲れるもんだけれど、最近そうでもなかったから、体力的には疲れてないのかなあ、と思っていたんですが、今日になって信じられないぐらい疲れてしまってます。

 無理して笑うとか、僕はそういうことがあまり出来るタイプではないのですが、笑っていたら疲れてしまった。精神的に疲れているのかなあ、と思っていたけど、実際に家で一休みしたときにはびっくりするぐらい疲れが出てしまった。

 そりゃ飯も食えない、寝れない、寝ても起きてしまう、悪い夢を見る、そんな状態で疲れないほうがおかしい。ずっと働いているし、休みもまともに取れていないのに、疲れないほうがおかしいのに、精神的に痛いから、あまり気にならなかった。でも、一日頑張って笑っていたら、途方もなく疲れてしまった。体がだるくて仕方ない。体力的にもいかれている。

 精神的に傷んでいるということは、、気が張っていると言うことなんだろうか?そうでないと説明が付かない。気が抜けたときに一気に疲れが出るときのように、体が動かない。でも別に気が抜けていると言うわけではない。いつもと一緒で、仕事はちゃんとした。

 ってことは、疲れているって実感するってことは、心の傷は癒えてきているのだろう。あと少しだ、あと少しで頑張れる。ちゃんと、頑張れる。

2007年6月26日   涙が出るのをとめられなくなるような日

 煮詰まっているときほど、文章を書きたくなる人山中です、こんにちは。

 仕事場で泣いてしまいました。弱えー。と言っても、人前で泣くことは私には出来ないので、トイレに行って泣く。思っているより、ずっと弱かったみたいだけど、心は折れない。相変わらず、本当に強い人だと思う、僕は。いっそ折れてしまえばいいのに、と思う。ちょっとだけ、倒れてしまいたかったり、動けなくなりたかったりしてしまうのだけれど、何も食べれてないのに体だけは元気だ。頑丈すぎる。本当に頑丈すぎる。

 しばらく倒れていよう、と思ったけど、日常はなかなかそれを許してくれない。さすがに心配されるとこんなんじゃいけない、と思う。心配されたくないから、ぶっきらぼうに振舞っていても、それでも心配されてしまう。また泣いてしまう。人は安心すると涙が流れるもので、張り詰めていたものが、やさしくされると堰を切ったように流れてしまう。こんなに涙なんか出るんだ。知らなかった。

 涙を流したことがなかった僕が、涙なんてこんなにでるんだ、ってのを実感したのは社会人になってからだった。仕事で悔しくて泣いたこともあった。失恋で泣いたこともあった。兄貴が亡くなったときは、ペットボトルが涙で埋まるぐらいに泣いた。親父が亡くなった時も、あふれる涙を止められなかった。今度は自分が情けなくて泣いている。トイレットペーパーで涙を拭くのは嫌だから、袖で拭いていたら、袖がびっしょりぬれてしまった。トイレにはいろんな人が来るから、息を潜めている。本当は情けない自分でもいいと思っているのに、情けなくて泣いている。もう、必要ないぐらい強いのに、どうも自分はまだまだ強くなりたいらしい。自分がわからない。強くなりたくないのに、情けなくて、泣いている。悔しくて、泣いている。

 扉は開かなかった。重い扉がまだのしかかっている。大きな門扉だ。自分の上に倒れてきたから、絶対どかせないと思っていた。いつかなんとか立ち上がるから、もうちょっと倒れていようと思った。でも、涙がそれを許さない。まだまだ強くなりたいらしい。僕は笑っていないといけないらしい。それも知らなかった。こんなにつらいのに、笑っていないといけないらしい。そんな人生期待してなかった。けど、涙がそれを許さない。

 

 笑うしかないってのも、ひどい選択肢だよなあ。十字架が一個増えたみたいだ。

 でも、それも悪くない。笑っていくしかないなら、泣いて、怒って、笑って生きていこう。扉がまだ倒れて体にのしかかっている。痛くて仕方ない。まずは退けてやろう。怪我しているけど、治している暇なんかない。扉は倒れてきて僕をつぶしたくせに、立ち上がってみるとまだ閉まっている。

 開けてやる。必ず開けてやる。まだ倒れているけど、もうすぐ立ち上がって、もうすぐ開けてみせる。

2007年6月25日   ゲームオーバー

 失意のどん底の山中です、こんにちは。これだけ暗い気持ちになるのは久しぶりと言うか、経験無いかもしれない。

 何もかもがうまくいかないときというのが確かにあって、それは運が悪いだけだから、じっとしていればいいのかもしれないのだけれど、結局救いを求めて動いてしまうから大変で。目の前に大きな扉があって、それが開けば光が開くとわかっていて、でも待ちきれなくて無理やりあけようとして、こじ開けうとした結果、扉が倒れて下敷きになった。覚悟はしていた。でも、開けようと思った。結果…

 結局、扉も開けられない。

 何も変えられない。

 逃げるしかないのかな?どうすればいいのかな?

 

 まあ、しばらく倒れていよう。別に誰の助けも必要ない。ゲームのコンテニューなんかしない。

 もう一度はじめればいい。倒れていよう。扉は開かない。扉の下敷きだ。上の重たいものをどかすには相当時間がかかる。新しい扉を探さなければならない。しばらく倒れていよう。

 

 何もかもがうまくいかないときというのが確かにあって、それは運が悪いだけだから、自分が悪いわけではないのだ。じっとしていればよかったのだ。でも、光があるとわかっていて、それを引っ張ると倒れると気が付いていても、まっていることが出来るほど、冷静じゃない。大人じゃない。

 まいったなあ…。痛くて仕方ねえや・・・。

2007年6月22日   自分の才能はいったいなんだろう

 何がやりたいかわからない山中です、こんにちは。

 やりたいことがわからないというのは、今までならやらなきゃいいとか思ってたんですが、もう今年で30だからそろそろそういうわけにもいかないかな、と。どんなにつらいことがあっても、コーヒーいっぱいで立ち直ることが出来る僕は、圧倒的にすごくて、どんなに落ち込んでいても夜空を見上げていれば復活できる僕は圧倒的に強くて、どんな疲れていても遊びに行けば疲れなんか吹っ飛んでしまう僕は圧倒的に頑丈だと思ってました。そういう意味で、自分が天才なんだと思っていましたが、そういう幻想からも離れていかなきゃならないのかな、と思うのです。

 僕はいまだに自分がある意味で天才なんだと思いながら生きてきた子供で、でも、自分の限界なんかおぼろげに見えてしまっている大人でもあって、許せないものを許して、許さなければならないものを許さずに、不安定ななかで無理やりバランスをとりながらやってきてました。他人が悩んでいるのを「別にそんなこといいじゃない」と思いながら見てました。で、30前になって、いざ助けに出ようと思ったときにまったく助けになることが出来ない自分がいて、ああ、結局今まで何やってきたんだろう、とかなんとか。守りたいものを守れないで、何で大人なんだろうって。

 思えば、僕の人生と言うのは圧倒的な劣等感を跳ね返しながら、何とか勝ち取った自信を武器に、扉を無理やりこじ開けて、「オレってスゲエよなあ」とか思ってる人生でした。実際のところ、その扉はこじ開けなくても開いたのかもしれないし、あける必要なんて無かったのかもしれない。でも実際、そうやって生きてきたんだけれど。いろんな引き出しを持ってても、結局、道具ばっかり増えるのであって、根本的なチカラそのものは子供のころから何も進歩してないんじゃないだろうか。理屈っぽいのが、ただの屁理屈のまま、小面憎いガキのまま大きくなってしまったんじゃないのだろうか?

 僕には何が出来るんだろう。仕事はある程度こなせる。8年も同じ仕事をしていれば、そりゃ出来るようにもなるだろう。あとは…何にも出来ないのかなあ。理屈がなければ進めない性格で、納得できなければ満足出来ない性格のまま、いったい何をしてきたのだろう。危機意識なんて何もなかったのだろうか。守りたいものを守れなかった以上、自分のポテンシャルに問題があったんじゃないのだろうか。このまま生きていれば、きっとある程度成長できるだろう。もうちょっとぐらいは大きくなれるだろう。それでいいのだろうか。潜在能力が足りないんじゃないだろうか。なぜ、限界を感じる前に、助走することが出来なかったんだろう。早くから走っていれば、もっと遠くに飛べたかもしれないのに。もっと高く飛べていたかもしれないのに。甘かったのかな…。

 潜在能力が足りない僕は、一体どうすればいいのだろう。ポテンシャルの限界を感じているのに、「もっと大きくなりたい」とか、子供みたいに言ってて良いんだろうか。頑張ったって、せいぜい覚悟を決めてしまえば出来る限界までしかいけないんだろう。思いもよらないところまでは到達できないのだろう。ポテンシャルの限界とはそういうもんだ。自分のいけるところまでいってやる!って思っていたけど、いけないと感じるところまでは、決してたどり着くことが出来ない壁が確かにある。自分では破ることの出来ない壁が確かにある。

 なんとなく自分は間違っていないような気がしていた。それなりに頑張っていれば、いい事がなくても、いい事を見つけることが出来る。そういう人生哲学は、決して悪いものではないと今でも思う。けれどそれでは守れないものが確かにある。 

 兄貴が死んで、親父が死んで、いったい僕には何を守ることが出来たのだろう。何も変わっていない自分がいる。ピンチのときにも平然としてポーカーフェイスでたんたんと道を進んだ自分がいる。ポテンシャルを変えることなく、自分が進んできた道を振り返りながら、それなりに大きくなって生きてきた。けれど、ポテンシャルの限界なんて、感じなかった。家だろうがなんだろうが、全て守り抜いてみせると決めたときから、覚悟を決めてやってきた。認識が甘かったのだろうか。ポテンシャル自体に限界があるのに、なぜ問題意識もなく、今まで生きてこれたのだろうか。覚悟なんて自分に都合のいい最低ラインでしかなかったのか?

 そうではない。何も変わらないでいれた自分がいる。重い十字架を背負っても、へらへら笑って今まで生きてきた。全てのものを守り通すことは出来なくても、譲れないものを譲らないまま、譲らなければならないものを譲りながら、助け、助け合って進んできた。それなりに誇りがある。ちっぽけな幸せでも大きな幸せに変える努力をして、ため息ついて笑って、またため息ついて笑って笑ってきた、そういう誇りがある。笑ってナンボでしょ、困ってナンボでしょ!

 

 そうだ、僕は天才だったんだ。ポテンシャルとか、そういうものはどうでもいいのかもしれないなあ。

 

 別に子供みたいに自分なら出来ると無邪気に信じていてもいいのかもしれない。いや、なんとなく、なんとなく出来そうな気がするよ。

 「OPEN THE GATE!」今こそ三十代の壁を越えてみせろ。その扉を開いて、新しい世界を導いてみせろ!何も難しいことなんてないんだろう。今までそうやって生きてきたんだから、乗り越えられないはずなんてないはずだ。

 

 自分がどこにいるかわからなくても、前がどっちかわからなくても、必ず道を見つけ出してみせる。道がどこにもなかろうと、目指すものがなかろうと、必ず自分で切り開いてみせる。ポテンシャルの壁ごと超えてみせよう。僕はたぶん、そういう力を持っている。珈琲があれば、それで幸せになれる、稀有な才能を持っている。このままでは守るべきものを守れなくても、衝撃に耐えることが出来なくても、笑ってもう一度立ち上がってみせる。もう一度、立ち上がらせてみせる!!

 と言いながら、不安なまま珈琲を飲むわけだ、これが。

2007年6月21日    OPEN the GATE!!

 すっかり壊れ気味の山中です。こんにちは。いろいろ思っていることがあるので、メモしておこうかなあ、なんて。まあ、山中語録的なもの。

「その道を通らなければ、その世界はない。」

 別に回り道をしても、近道しても、全力で走っても、結果がすべてだ。結果が全てだが、自分を創っている世界はその道を通らなければ創れない。結果が返ってこなくても、結果として自分が創れればいいと思うのだ。自分の世界が広がれば、それでいいと思うのだ。

「許せるのが大人、許せないのが子供。」

 笑って許せれば大人。ワガママ通すのが子供。世の中理不尽なことばかりだけど、全てに腹を立てても仕方ない。未熟な人間を許してやってこそ大人。だから、大人になりたい。許せないものは許せない。譲ってばかりでは何も変わらない。正しいと思うことには頑として立ち向かう。妥協してばかりの、大人にはなりたくない。

「頑張るとは勇気を出すこと。勇気を出すとは、覚悟を決めること。覚悟を決めるとは、やり遂げて見せること。」

目指す世界がなけらば、頑張れないのだ。頑張っても、無駄骨で終わるのだ。目指すところを決めるのだ。それで出来ないと思うこともあるだろう。それをやって見せる。それが覚悟だ。出来る、出来ないの問題ではない。やる、やらないの問題なのだ。決めたことは、何があろうと絶対にやり遂げて見せる。だから、勇気を振り絞って戦い続ける。勇気がないと、戦えないから。頑張らないと、戦えないから。

「頑張ったって。いい事なんて何にもない。でも、頑張れば、いい事が見えてくる。」

宝くじが当たった、たまたま入ったラーメン屋がおいしかった。別に頑張った成果ではない。頑張ったら収入が増えた、試合に勝った、ほめてもらえた。それはいい事でもなんでもない。頑張ったのなら当然だ。頑張ってもいい事は何もない。頑張っても、当然の報いすらないことが多いのだ。でも頑張らなければいけない。当然のことがいい事と思えたなら、自分が頑張った証拠だから。頑張れば幸せになれるから。

「失策は我にあり。」

人を責めても返ってこない。自分が頑張ったのに、他人がフイにしても、責めたところで返ってこない。理不尽にもほどがある。なんで、と思う。でも、もう一度頑張るのだ。頑張り方を変えるのだ。一人では生きていけないから、自分が全てを背負ってみせよう。結果が返ってこなくても、きっと自分は大きくなってる。他人の頑張りに感動し、自分の頑張りで喜べる人でありたいから、どんな理不尽なことでも、後悔はしない。畜生、と思っても、それをバネにもっと頑張ってみせよう。失策は我にあり。失敗しても、必ず成功できると信じれば、いつかきっと、かなうだろう。きっとかなえてみせる。

「君の元気は僕の元気さ、FIGHT!」

 つらかったらともに悩む覚悟はある。泣いても、怒っても、かまわない。そんなことは、かまわない。だから、最後に笑ってほしい。一緒に笑ってほしい。君の元気は僕の元気。笑って。

「OPEN the GATE!」

 重たい扉がある。頑丈なカギがされている。その扉を開けると、世界が変わる。世界が変わるのは、とても怖いことだ。だから、扉が重たいことを理由に、誰もあけようとしない。カギなんて持ってないから、誰もあけようとしない。僕だって、あけようとは思わない。でもその扉を開けるよう命じる人がいるのなら、僕が開けてやろう。カギなんて持ってない。でも、こじ開けてみせる。カギなんか壊してやる。そこに扉を開ければ世界が変わるなら、きっとそれこそがカギに違いない。扉を開けろ。行き詰ったときこそ、立ち止まっていてはいけない。壁なんか越えていく。壁なんて壊していく。その扉の向こうには明るい未来は待っていないかもしれない。けれど扉を開けなければ未来はない。いつまでもいつまでも、過去のままだ。扉を開けろ!

2007年5月27日   半年に一回が更新のペースになってるなあ・・・。

 相変わらず忙しい山中です。うまくいかないですが、うまくいかないのも、うまいことのうち?で頑張ってます。
 仕事内容とかはまったくもって変わりないですし、生活パターンも変わりありません。高くないレベルで代わり映えしない毎日。それでもいいかなあ、と思いながらやっております。

近況報告

 11月 車を買いました。新型カローラフィールダーです。

 そのほか何もありません。

 ・・・でも、がんばります。

2006年11月3日   頑張って生きてますよ!

 いそがしいったら忙しい山中です、こんにちは。仕事終わって、メシ食って風呂入ったら12時。1時に寝て7時半におきて8時にでて九時に職場でまた仕事。そんな生活もまた良いかなあ、と思いつつも、特別いい事も悪いことも無く暮らしてます。暇よりはいいよな、忙しいほうが。

 頑張れるうちは頑張りたい!

近況報告!!

 8月 甲子園に行ってきましたよ!やっぱ面白い!!

 9月  久しぶりに福井に行ってきました。

 10月 車の予約に行ってきました。

今月はまた仕事場で改装が・・・。

2006年6月17日  って言うか、何でこんなにだめなんだよ、オレ。

 またホームページほったらかしにしてしまいました、山中です、こんにちは。

 せめて休日ぐらいはホームページを触らなきゃいけないなあ、と思ってはいるのですが、なんせ忙しいので、何も出来ません。こんなんだったっけなあ、今年の目標は。努力して楽をせねば!

近況報告

6月13日 金沢競馬場に行ってきました。

3月中旬 トラクターの運転の仕方を覚えました。

1月下旬 京都に行きました。

食べたもの報告とかも復活させたいなあ、いい加減に。

2006年2月15日   ええ、近況報告ぐらいはしますよ。

 まったくもって多忙な男山中です、こんにちは。どう多忙って仕事に多忙で何にも面白くないサラリーマンですよ。

近況報告

 おーきくかわりありません!

2006年1月14日   今年の経過っつーか、予定っつーか。

 ええ、今年はあまりいいこと無いかな、山中です、こんにちは。

 いや、これがあんまりいいこと無いんですけどね、これが、あんまり悪いこと無いんですよ。これはすごくいいこと。頑張らなきゃねえ。今年は、頑張ってるぜえ!

 近況報告

 ええ、競馬の勝率は上がりましたよ!尾口君と共同馬券やるようになってからはいい感じです。

 体重は、2キロ減りましたよ!あとは出会いだけですよ!

 株は、口座作るまでもうあとちょっとです。

 体調管理も、いい感じです。

 頑張れそう。頑張ります。

2006年1月1日   今年の抱負っつーか、テーマっつーか。

 あけましておめでとうございます、山中です、こんにちは。

 今年もしばらくひどいと思うって言ってたら、本当にひどいことが続くもんで、今度はおばさんが亡くなりました。おめでとうじゃないよなあ。あさってはお葬式。なんでこう、ひどいことばかり続くんでしょうか。

 でも負けてられません。落ち込んでもいられません。明日から仕事だ、コノヤロー。

ということで、毎年恒例!去年は例外!今年のモットーっつーか抱負っつーかテーマっつーか!

 今年のテーマは「楽をするために努力する!」です。

 えーと、精神的に楽をするため、彼女を作る。金銭的に楽をするため株を始める。体力的に楽をするため体調管理にお金をかける。そして娯楽(競馬・高校野球)を楽しむと。

 で、彼女を作るために体重を減らす。株を始めるために勉強をもっとする。体調管理にお金をかけるために娯楽(競馬)での勝率を上げる。で、株の勉強はしてるので、競馬の勉強と体重を減らすことが当面の課題かな。

 やっぱりそのためには考えるための道具が必要。このホームページをもっと活用しなくちゃなあ、と思うわけで。そのためにはもっとパソコンに触れる機会を作らないと。そのためには生活の無駄を省かないと。

 ストイックにやるつもりはありませんが、真剣に、楽をしていきたいなあ、と思っております。

2005年12月21日   負けてたまるかよ!!

 頑張ってます、山中です、こんにちは。

 近況報告

 9月  親父が亡くなった。難病指定されているウェゲナー肉芽腫症。原因不明の難病で、ステロイドや免疫抑制剤の投与で一時快方に向かっていた様子だったが、表面的な様子とは別に、体の中は病魔に蝕まれていた。一見良く見えたが、8月暮れから始まった下血がとまらないために手術、「手術したら死んでしまわんか?」と親父が言ったが、果たしてそのとおりになった。手術するもショックで心停止、何も出来ないまま、手術は終了。その後奇跡的に意識を取りもどし、会話できるようになる。が、やはり下血はとまらない。血が不足することにより度重なる輸血をくりかえし、どうにもならないまま、やがて心臓にイベントが起こり、いわゆるショック死で亡くなった。

 酒、タバコ、偏食、働きすぎ、寝不足、あらゆる不健康要因を持っていた父が、それとはまったく関係ない病気で、本人も何が悪いのかわからないまま亡くなっていったのは、あまりにも無念だし、悔しかったと思う。正直言って、病院がもうちょっとしっかり、いやまじめに診てくれれば、こんなことにはならなかったと思うし(最初はまともに取り合ってもらえず、入院させてくれと頼んでもさせてもらえなかった)、もうちょっとましな死に方も出来たと思う…。「ビールが飲みたい」「家に帰りたい」「悔しい」と何度も口にしたけど、何もしてやれなかったのが心残りだ。けれど、実際、僕にはどうすることも出来ない病気だったし、病院を恨んでも仕方ない。悔やんでも、親父は戻ってこない。喜びもしないだろう。

 葬儀、法事など喪主としてなんとか終わらせ、なんとか助けられてやっているけれど、何はともあれ、頑張るしかない。頑張るしか、ない。

 10月  転勤した先の、新しい店がオープン。10時まで営業する店で、オープンのときは火の出るような忙しさ。おまけにさまざまな法事が重なり、はっきり言ってどうにもならない!人生で一番ひどい三ヶ月だった。本当にひどいひどい三ヶ月だった。けど、何とか終わった。自分でも良く頑張ったと思う。これ以上悪いことなんて、きっとそんなに無いから、つらくて仕方ないけれど、頑張って生きるのだ。

 11月  朝7時におきて午後11時まで仕事して、家かえってメシ食って1時か2時に寝る毎日。はっきりいってどーーーにもならん!んで、今に至る。

今年の上半期は温泉行ったり、競馬行ったりして楽しかったけど、下半期は本当に本当に本当にひどかった来年も正直言ってしばらくひどいと思う。けど、この先は自分で切り開かないと、やっていけない。

 今年も、まだまだ頑張ります。来年はもっと頑張ります。絶対頑張ります。負けてたまるかよ!!!

2005年8月28日   太り気味の人

 動かなくなって太ってきた山中です、こんにちは。運動したい!

 親父の病気が特定疾患とか難病指定されているとか何やらですが、ちょっとづつ良くなっているので一安心。少しづつ治っていけばいいんです。そんなこんなでへこたれてもいられないので、近況。

 会社の合宿でひるがのへいっていきました。勉強するのは楽しいのですが、研究するのも楽しいのですが、難題をさぞ簡単なことのように与えられても。そういってぼやきながら作るレポートの出来はなかなかなかなか。やっぱり、学者肌なんですね、僕は。

 ジャスコの扶桑店に買い物に行く。この店はジャスコの中でも大型店で、大変お客さんも多いのですが、ジャスコの思っているほどには売れていない、という微妙な店みたいでして、夏物のいいものがお安く売ってました。やはり夏物はこの時期に買うのが一番!

2005年8月20日    何とか生きてます。

 疲れきってる山中です、こんにちは。

近況

 えー、親父の病気名がわかりまして、これが難病らしいです。特定疾患とかに指定されているのもので「ウェゲナー肉芽腫症」という、名前もおどろおどろしい病気でして、まあ、なかなか治らないらしいんですが、まあ、致命的なものではどうも無いようで、ゆっくり治していただきたいところです。そのうえに私転勤になりまして、勤め先が名古屋市になりました。今は研修中で春日井市に言ったり多治見市に行ったりで、めっちゃくちゃ忙しいのですが、休みの日は病院、出勤日は長距離出勤で神経すり減らすような事務仕事というわけで、どうにも疲れきってるのですが、体力的には疲れていないもんですので、どうにかこうにか生きてます。頑張らないとなあ。

 そんなこんなで更新は滞っちゃってるのですが、それでも私頑張りますよ。

2005年8月7日    戦え!オレ!

 選手権大会の甲子園大会が始まりましたね、ヤマナカです、こんにちは。

近況など

 親が倒れて入院しました。ええ、もう大変で、ホームページなど更新する気力も無いわけなのですが、こんなときこそ僕が頑張らないと。がんばらなけれじゃ僕じゃない。ええ、頑張ります。

 7月中旬   父親倒れる。蓄膿症とか、前立腺炎とかそのへんですわ。なんかわかんないんですけどね、いろいろ不摂生したツケが出たみたいです。けど、この程度では、大丈夫な人なので、時間かけてゆっくり治しやがってほしいです。負けるな、オヤジ!

 7月下旬   父親治らない。治らないったら治らない。母親も頑張れ。

 8月上旬   オヤジ治らない。俺だって負けないよ。

中日も勝ってますし、高校野球だってやってます。頑張ります。

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