平成11年12月28日(夕版) シャドウ
凍った道を歩いて足を滑らせて顔面を痛打したヤマナカです、こんばんは。
タオルをぬらして、シャドウピッチングをしてみたのですが、手が冷たかった上に水が顔にかかって冷たいのでやめました。1人では野球の練習もできません。仕方がないので乾いたタオルでシャドウしたのですが、やり方が分からないのでやめました。コーチ欲しいです。
1999年12月28日 若干
誰にもかまってもらえない山中です、こんにちは。
誰も相手をしてくれないと、ふてくされてしまうのが人間の仕方のないところですが、私は夜中に散歩に出掛けて黄昏ることでそれを回避します。が、現在は雪多すぎでそんなこたァできません。で、仕方がないので誰かに相手してくれーと電話してもやはり相手にしてもらえないので、一策。
まず、コーヒーを飲む。→日記(手書きの方)を書く。→日記を読みかえす。→思い出に逃げる。
思い出は財産ですね。
ただ、若干むなしいのが難点。山中泉という人間は、自分を話し相手にできるという芸当を持っていますが、やっぱり晴れた日にトコトコ歩いて勝負したいところです。今日は晴れるらしいので、厚着をして出掛ける予定です。夜中に。
平成11年12月27日(夕版) むむ。
貧乏性ヤマナカです、こんばんは。
自分ちのテレビデオが二千年問題に対応していた事にものすごく感動。これで引っ越して実家でも使えます。さっそく踊る大捜査線ザムービーを予約してから実家に帰ろっと。二千年問題というのはどの程度まで対応していいか分かりませんが、通帳記入を終らせ、すでに年末年始の生活資金を全部おろしました。用心にこした事はなし。あとはメシの心配ですが、我が家にはしっかりした兄上がいるので大丈夫でしょう。
あーあと今ごろフルハウスにハマっているので、ビデオに撮ってもいいかもしんないなあとも思ったり思わなかったり。
なんだかんだ言って日々の羅列かぁ、日記なんて。こだわる事はないですね。
December 27, 1999(昼版) あーあ
読売ジャイアンツ宮田コーチ一軍帯同?来年はジャイアンツ優勝ですわ。あーあ。
1999年12月27日 何かが足りない
何かが足りない…やまなかです、こんにちは。
人に変だ変だと良く言われるのですが、実際どのあたりが変なのか、ということを、自分でもよく考えたりします。基本的に変であると言われることは個性的な証拠だ、と自慢できることだと思うのですが、実際の所、変だと言われない人の方が少ないので、そうやって考えるとまだまだ僕は没個性だと思うのです。だから私は謙遜して(自分でも変だと思っていないので)、「オレは普通だ」といつも言ってまわるのですが、それを認める人は丹頂君と、トキさんぐらいで、みんなそろって僕を変だと言います。これだけつまらない人間をつかまえて「変」と言ってくれることは大変に喜ばしいことです。しかし、いろんな人に僕が変な理由と言うのを聞いてまわると、どうも、さほどに変わった所はありません。何が変なんだろうなあ、と思っていたら、そのうち確かに僕には何かが足りないような気がしてきました。なんだろう…。
…そうか。どうも私は人をうらやましがる、と言うことがほとんどと言って良いほど無いらしいということについさっき気がつきました。どうも僕にとっての欲と言うのは、常に絶対的なものであって、相対的なものではないようです。
が、その程度ですね。人によく見られたい、と思うこことはやはり結構あるような気がしますし。どうせなら全く体面を気にしない人間になりたいです。仙人みたいな。無理ですが。
1999年12月26日 地球上からブリがいなくなる日
変わり映えしない男、山中です、こんにちは。
「地球上からブリいなくなっちゃうよ!」と、回転寿司のオヤジさんの名文句を吐きながら、ブリの握りを食らい、その後はピカチューのお面をしたりしながらボウリングに行き、最終的にファミレスでコーヒーを飲むというこれ以上無いぐらいの模範的大学生年末生活を送りました。毎日に変化がありませんし、求めもしません。で、その後は誰もかまってくれないので、徹夜して翌日早朝学校に来るというこれまたいつものパターン。学校に来るまでは、家で布団の中で、例によって考え事です。その時考えたことは「自意識過剰というのは、良心でもある場合が結構あるなあ」というこれまたどうしようもないことでした。
…というわけで、私の日記のページというのは随分変質しているようであります。97年までは日々あったことの羅列、98年ぐらいから日々あったことの感想、99年からは一日の行動と考え事のページに化しているようで、最近はあんまり僕以外の登場人物が出てくる日というのはないのです。今まではうちわ受けなページであったのが、最近は自分受けというかなんというか。で、まあ毎日毎日変わり映えしない考え事をこうやって書いていることも随分無意味なことだなあ、とか思います。が、「それはそれでいいか」、とか、意外と精神的なバランスを取るのには役にもたっているようです。
毎日毎日変わり映えしない生活、例えばブリのお寿司を嬉々としながら食べている生活ってのは、ブリがいなくならないとおそらく変わらないわけで、僕はそこに毎日考え事を繰り返し重ねるたびに、ますます一人勝手に幸せになっていきます。結局変わり映えしないといいながらも成長している、ということのようです。変わり映えしない毎日は自分の成長で変えれば良いんだなあ、と思うと、自分自身が意外と向上心がある男のような気もします。
何が言いたいかというと、日記に考え事ばかり書いて、一ヶ月20000字(12月ついに達成!)はすごいなあ、と我ながら感心しているわけです。しかも他人が読んでも面白くもおかしくも何とも無いんだろうなあ、と思うとますますすごいわけで。
しかし何で僕の文章はこんなに下手なんだろう…。
1999年12月25日 ああ、そうか
お茶を薄めて出されました。その後はとりあえずなんか知らんけどお話をしました。
なるほど。
お茶を濁すというのは、そういう意味か。
池田貴族さんが…。遠藤アナとやっていたなごやかホルモン(CBC・中京ローカル)たまに見てました。ご冥福をお祈りいたします。
「平和はない」「片桐に捨てる所無し」
平成11年12月24日(夕版) クリスマスイブ
カレー教徒ヤマナカです、こんにちは。いちおう仏教徒なんかなあ。お墓参り結構好きだし。
もともとほどほどに祭りが好きな僕ですが、彼女もいなけりゃ子供の知り合いもいないので、クリスマスの今日明日なんかは卑屈になるべき人間であります。が、元々頭が幸せにできているので、特に意識をしなくても、平穏な気持ちでクリスマスを祝うことができたりしまして、卑屈にはなりません。まあ、仏教徒なんですけどね。だからといって商業主義の戦略だとか何とかブツクサ言うのも、心が狭いものだとか思います。
年も暮れるとそれだけで心踊る私は典型的な日本人ですが、いつまでも平凡でありたいなあ、とかこういう日は特に思います。流されているのも、結構いいものです。何も知らずに流されるのは、あんまり良くないのかもしれませんが、自分で流されるという道を選択するのは、自分のやる気を出させる上でも、結構有用なことだと思うわけで。なんで流されるとやる気が出てくるか、の証明は一言で。「いちいち気にすると、全部無意味に見えてくるから。」私は理屈っぽいゆえに、あまり考えないことに憧れるのです。
1999年12月24日 クリーニング屋
クリーニング屋の人って、目が笑ってないよなあ。
1999年12月22日 家の寒さに耐え切れず
学校に出てきた山中です、こんにちは。予算が無いんです。雪がついに降り終わりまして(40cm強)。しかしながらそうなった直後に家から出てきてしまう僕は、よほど学校好きなようです。
頭が冴えんなあ…。
平成11年12月21日 捕虜ゲット
これからラーメンをおごってもらいます。
1999年12月21日 人生ごと嫌になりそうな雪
明日からしばらく布団虫になる予定のヤマナカです、こんにちは。
薄着(二枚)の状態で、スコップ片手に雪と大格闘し、エンジンをイワしそうなくらいまわしながら、一時間後にやっと我が家(雪が降ると滑って動けない)を脱出。それだけでもう嫌になりそうです。年に数回、これぐらい降る事がないわけではないのですが、今年の雪はタチが悪いのです。最初ボタ雪で降って最近粉雪に変わったので、下が溶けて凍って上サラサラ。僕の車にうらみでもあるかのような降り方。仕方が無いので雪をどかしどかし、車を吹かし吹かし、散々暴れて得た結果が、たかが家脱出となると、俺は一体何を目的で…とか思ってしまいます。どうせ帰った後もまた雪と大格闘でしょうねえ。あー、嫌ンなるわィ。それなら最初から家から出なきゃ良かったのですが、今日は提出物があったので…。新聞によれば、これからさらに明日にかけて大雪のおそれとか…。
もうしばらく家に帰りたくないので、誰か泊めてください。
1999年12月20日 生活ごと嫌になりそうな雪
雪まみれで徹夜明けの山中です、こんにちは。手がかじかんでしょうがない…。
いきなり15cm近い雪が積もっておりまして、朝から大変でございます。とりあえず、出れなくなる前に出ておけ、というのでさっさと家を出てみましたが、あまり進展はなく、どうやらこのまま家に帰る事にはなりそうですが、その前に一つぐらい仕事をしてから帰ろうかと思います。
1999年12月18日 年内のノルマは全て達成!
ノルマ達成のヤマナカです、こんにちは。
卒論の下書き、および、就職内定先の提出課題も全て完了し、まあ年内のノルマは達成とあいなりました。あとは大掃除をするぐらいですが、これからは比較的のんびりと卒論の修正などに取り組もうかと思います。
これで、やっとたまっていた更新も処理できるというものですよ。
昭和74年12月17日(夜版2nd) 卒論の方向が
とても若者らしいさわやかなものになりつつあります。
平成11年12月17日(夜版) ちょっと
明日と明後日は就職内定先の提出課題に取り組むため、家にこもります。
1999年12月17日 むむむ。
左腕好きヤマナカです、こんにちは。
サウスポーという響きが好きな僕は、だいたいの左投手が好きなので、左腕王国と聞くと変にいきり立ちます。すると、読売ジャイアンツが左腕王国を名乗るじゃありませんか。工藤、メイ、高橋尚、河本という四人の左腕の新加入に加え、小野、岡島、野村などもとからいる左腕と合わせて、左腕王国ですか。気持ちはわからんでもないです。中日も左腕王国を名乗っていましたが、野口、山本雅、サムソン、岩瀬と数は四人。サムソン抜けて小池が加入したので、読売よりはまだ実績があるとは思いますが、確かにさほど変わらない様子ですね。今中なんか働くかどうか知りませんし。とはいえ読売投手陣はみなすべて成績に疑問符がつくあたり、コーチが優秀でないとまとまらないでしょう。
実際読売は一チームだけで日本代表になれるほど、異常なまでに強くなっていると思いますが、じゃあ何であそこが優勝できないといえば、昔からコーチ陣が、グチャグチャだったからに他ならないわけです。たとえ監督が誰でも優秀なコーチさえいればあそこは優勝できる戦力を持っているはずで、今年は強いと毎年言いながらもどっかでバランスを崩して負けてしまうのです。具体的には打順にこだわらない補強をしながら、打順に応じた打撃をさせようとガンバル打撃コーチですが、あの打撃陣だったら、本当なら全員クリーンアップと思ってがんがん打っていけば良いわけで、下手にチームバッティングなんかさせない方がいいのです。現にオールスターチームならそういう野球をさせているはずで、読売は一チームですでにオールスターなんだから打順なんか考えなくてもかまいやせんと思います。投手陣に至っては堀内前投手コーチなど、「中継ぎは先発として物足りない投手がやるだけのものだ」とまあいい加減にしろと言いたくなるような指導を受けさせてきたわけで、小野、三沢、織田、西山など、あのあたりの投手陣がすべてすさまじい実力を持っているはずの投手でありながら、先発中継ぎローテの谷間といい加減な使われかたのあげく、最終的に「投手として足りない」といって二軍に落してしまう馬鹿コーチ陣のせいで、煮え湯ばかり飲まされてきたわけです。監督がどんな不可解な采配をしてもちゃんとそれに物を言えるコーチ陣であれば勝てるのです。
ご存知雑草男上原を筆頭に工藤、桑田とコーチ陣の要らない投手が三人、加えて来期は宮田ピッチングコーチの一軍昇格となれば、たとえ阪神の打線でも楽に優勝してしまえるだけの戦力は整ったといえます。果たして宮田コーチは一軍に上がるのでしょうか。実際元々が投手王国であるべき戦力のチームですから、中日ファンとしてはへんてこピッチングコーチ陣のままであり続けて欲しいと願っています。
というわけで、ながながと「読売の補強がそんなにひどいものでもない」と論じ続けてきたわけですが、さすがに我らが星野監督はそのあたり認識しているようで、実に偉いと思います。的場を手にし、戦力を整えつつある阪神野村監督も、もちろん嫌がらせ戦略を取って読売のバランスを崩しにかかるでしょう。横浜権藤監督はもとから選手の力を信じてかかるような人ですから、相手がどこでもさほど問題はありません。現能力の高い読売相手にポテンシャル勝負で五分の戦いをしてくれるでしょう。
問題は。若松、達川という今年も猛威を振るったアンバランス監督陣が、読売の怖さをどこまで認識しているかです。若松監督はあの超豪華な戦力を擁し、それをバランスよく育てていくという気味の悪い采配を取っていますが、あれではいつまでたっても勝てません。何でトレードの一つもしないんですか?それと達川監督は、当たって砕けてミキサーにかけてからもう一度固め直すような動画GIFでも見るような采配ですが、あれの目的は何なんですか?
読売VSヤクルト広島。これが来年のカギを握るカードといえます。
1999年12月16日 タイヤ交換
寒さに強い山中です、こんにちは。
朝起きたら日がさしていたので、「千載一遇のチャンス」とばかりに元気よく起きてタイヤを交換にかかりました。ジャッキ等が思い切り普通のものなので、どうしようと思っていたのですが、まあやり始めてしまえばそんなに辛いものでもないか、と思い、やる気を出してタイヤを一つ外した直後に冷たい雨がザー。泣きながらも雨宿りする僕。しかし、暫くやみそうにないので濡れながらタイヤを一つくっつけました。
まさか一つだけ変えて辞めるわけにもイカンので、仕方なく雨合羽を着て、もう一つのタイヤを外しているうちに、雨合羽をつたって靴が一つベタベタに。愚痴を言いながらタイヤを全て交換した直後、雨が上がりました。
これもすべて日頃の行いですか。寒いぞちくしょう。
December 15, 1999(昼版) スランプ
スランプやまなかです、こんにちは。スランプてえとだいたい理屈が多くなって、それが現在の言い訳であることが多い、っつう中学時代からの傾向があります。
そういう時は結構筆は進むのですが、内容が進まないことが非常に多く、結局何も進まない、と言うことが非常に多いわけで、これは中学時代から続く傾向であります。ちょっと日記(自筆の方の)を読み返してみたところ、スランプの時に限ってやたらと文量が多いので。
最近どうも日記なんかの文章が長いなあ、と思っていたら、どうやらそういう事だったようです。道理で全然進まないわけだ、卒論。
1999年12月15日 理論体系再考
理屈屋ヤマナカです、こんにちは。
世の中には論理学という学問がありまして、その影響か、どの学問においても論理的に整合性を求める風潮というのがございます。で、アタシなんぞは理屈っぽい人間ですから、何ぞの本を読んでもそれを否定してかかってナンボな、「アゲアシ取り型人間」でありますが、あげ足を取るってのににもやっぱり基準があるわけでして、やはりそれは自分の中にあるバランス感覚であり、それは結局、ものの好き嫌いでしかないものでございます。
「おい、湯、沸かしてくれや」
「バカ言っちゃいけねえや、水を沸かすから湯になるんであって、最初から沸いてるような湯ゥなんざ沸かしたって何の足しにもなりゃしねえ。」
「くっだらねえこといってねえで、さっさと水を沸かせってんだベラボウめぇ」
なんて下りは落語なんぞ見ていると良くある話で、どっちに整合性があるかってえと、水を沸かすほうでございます。じゃあどっちが理屈でどっちが屁理屈だということになりますと、これは湯を沸かすというほうが理屈になりまして、屁理屈は水を沸かすということになるわけでして。
古来より、人間は理屈をとなえながらも、知らないことを知るということは一種の智であるとか、論を言うよりまず気を持って示せなど、相反することを言ってきたわけでございまして。アインシュタインなんぞは理屈に合わないことを考えたあげくそれを理屈にしたことで後に学名を手に入れ、科学の進歩に偉大な功績をあげるに至ったわけで、果たして世の中は理屈で整理して良いものか、という風に思えないでもないわけでございます。
所詮は人間の作ったものである以上、言葉なんてのは目的用途別に多種多様で、同じ事を言うにしてもどんな風にでも言い換えができるもので、つながらないってえと論理的に整合性を持たせるために一つ言葉を作ってしまえばいいわけであります。例えば定説ですとか、天声ですとか、まあこの辺は少し極端な話ではございますが。
学問として論理的に解明していないからといって、それを検討する価値はない、というのは科学(化学)万能論の言うところですが、アインシュタインの例しかり、エジソンの例しかり、やってみなければ分からないということもございます。
であるとするならば、論理的にスキがないようなものでも、少しでも違和感を覚えるようなら、それについてある程度研究する必要てえのはむしろあるわけでございまして、そこから初めて真理が生まれることも可能性としちゃああるちゅうわけです。勉強をしなければいけない、と思うか、勉強をしたほうが便利だから勉強するか、というのはその人が決めることでして、「必ずしもある程度のことを知っていなければいけない」ということはなく、当人が世の中に文句さえ言わないのであれば、人に勉強不足とか言われるようなことはそりゃあ大きなお世話なのであります。学問だからってそれは全て正しいってわけじゃあありませんで、場合によっては何も知らないってえ人が、正しいことをダイレクトにポンと出す可能性だってあるわけです。
そうしますと、逆に言えばそういう可能性を残しているのであれば、理論というのは必ずしも完全でなければならないというものではないのであって、その言い草ってえのは論理学崇拝のまやかしであるとこういう論が成り立つわけで。理論はただの屁理屈でもよければ、理屈でもいいし、あるいは全く関係ないようなただの感情論でもさほど問題ではないと思う道理ございます。(論文となると話は別なようですが)。
そう思って世の中を振り返るに、私のような理屈型人間だけでなく、ある程度の学歴をつんだ人間は、アゲアシ取りに終始してちっとも物事が前に進まないように思うこともたびたびございます。思い付いたことをそのまま形にして、それにある程度の論理性を加え、それでも矛盾がある、ということにはある程度目をつぶって、そのまま考えてみるということも必要だと思う次第です。だから私たちは、ガリレオを罰した世の人たちを笑えないのではないか、とこういうわけですな。
だから完璧な理論なんて求めないで、ある程度破れかぶれでもごまかしごまかし突っ走ったほうが説得力は出るかなあ、とか論文かきながら少しだけ考えもいたしましたが、さすがにそれは我慢。
卒業論文書き上げるまでの辛抱でございますな。
と言っても、別に卒論を書くことが苦になっているわけでは全くもってないのですが。
平成11年12月14日(夕版) 突発的な元気を出してみても良いような場合
人間やる気出して元気出してなんぼだよなあ、と日々思うわけです。そうなると問題点というのは認識した時点で解決方法が見つからなければ、考えるだけムダな事が多いと思うので、まあ、自分なりに考えてさっさと処理してしまうべきだな、と思います。
1999年12月14日 早朝ですが
午前3時45分にヤマナカです、こんにちは。卒業論文を書いているのですが、前回はエンジンがかからなかったために書けませんでしたが、今回は点滅するライトでやる気をなくして書けません。さっきまで比較的に頭が冴えていたので、書く事は決まっていますが、集中力を奪われては仕事にならないので、明日またやります。時間的余裕があるってすばらしいですね。
1999年12月13日 やる気が出ないので
学校にこもっているヤマナカです、こんにちは。
卒業論文を書く計画がありまして、カラオケやってからということにしたのですが、いつまでたってもいけないので欲求不満でおかしくなりそうなので、とりあえず書かないでおこうと思いましたが、そういうわけにもいかないので、とりあえず学校にこもってますが、どうやら書かずに帰りそうです。
1999年12月12日 おはようからおやすみまで暮らしを見つめられたら恐いライオン
野球やりてえ。
1999年12月11日 四輪
ジュビロ磐田チャンピョンシップ勝利おめでとう山中です、こんにちは。試合で負けて当日のPKで勝っても嬉しくないだろうなと思ってますが。
工藤投手は読売に行くようですが、「意気に感じて投げるタイプ」だったら、絶対ファンが熱烈な中日だったでしょうに。とは言っても、中日ファンとしては工藤が中日に来なくてホッとしました。野球は勝てばいいってもんでもないですから、地方球団ですから、生え抜き重視政策を取って欲しいと思います。
全国区の球団に行った工藤の選択は、彼の給料と現在の人気を考えれば、正しかったと思いますが、彼の生涯成績と歴史的名誉を考えたとき、あのコーチ陣と捕手陣のチームで、と思うと残念でなりません。まあそれでも宮田投手コーチが一軍にいれば別ですが。
December 10, 1999(昼版) まずもって書けなかった卒論について
やる気のない状態で卒論にとりかかったのがまずかったようです。不本意!!!!!!!
12/10/99(朝版) ごめんなさい
よみなおしたら、やっぱり粗稿でしかないようです。でも徹夜明けなので治す能力もありません。
1999年12月10日 卒論くん
午前5時30分山中ですこんにちは。卒業論文なんか3日で書けるわいとほざいていた僕ですが、昨日の午後9時からずっと書き続けているのですが、構成の問題等あって、どうやら一日では半分しか書けない模様です。
まあ書くだけならほんとに3日で書けそうどころか、24時間かければ全部かけそうななのが僕のすごいところですが(自分で言うな)、見直しとか内容の濃さを考えるとやっぱり最低10日ぐらいはかかるような気がします。
それはともかく、今日に関しては粗稿をまとめるだけで別に急がなくてもいいやあ、と思っていたくせになぜか粗稿ではなく本チャン原稿を書き始めてしかも半分終わってしまうというのは、僕の卒業論文の質が偉く悪いものであることの証明であるような気がしますが、実際書いてみてもそんなに違和感無くような気がするのは、僕の頭が徹夜明けモードになって働いていないのが原因でしょうか、それとも本当に良い原稿なのでしょうか。
答えは?
多分前者でも後者でもなく、本チャン原稿だと思っている今回の原稿が実は粗稿だった、ということじゃないかとさっき思えてきました。だとしたら、僕は粗稿を半分書くのに1日かかっているということに相成ります。
実は。
馬鹿だったんですね、僕は。
なにをいまさら。
と改行をやたら改行をいい加減にしてみました。
1999年12月9日 不可燃性定理
野焼き愛好家山中です、こんにちは。焼き芋食いたいッス。
ものを燃やすという行為と言うのはゴミの時ばかりにいわれがちですが、たいがいのエネルギー資源というのも燃やしますし、ゴミも燃やすことで資源になりうる場合と言うのがあります。で、燃やすために開発されたようなものというものは、燃やすことに制御を必要としますが、ゴミを燃やす、と言うふうになると、若干様相が違います。たとえば集積して焼却炉の中に入れて燃やす、ということというのは、はたしてどの程度までの制御が必要となるか、ということです。中に入っているゴミと言うのは様々な種類のものがあって、ただ高温をかければ燃える、と言うものでもなく、そうやって燃やしてしまうと一部のゴミは高熱を発しすぎて焼却炉を燃やしてしまうという問題があります。ですからゴミの焼却というのは大前提にゴミの分別とリサイクルが必要になってくるわけです。あるいは全部気化して燃やしながらにしてゴミを分別してしまう(この場合燃やしてないのですが)、という離れ業を持った炉というのもあります。まあ一方的に燃やすということはそんなに難しいことではないので、規模の問題だけを考えればいいと思います。
で、今度は燃えないものを燃やすにはどうすればいいか、という問題があります。まあ燃えなければいけないものというのがありまして、あげていくと、「二軍でくすぶって燃えない野球選手(若手とは限らない)」だとか、「最初からあんまりやる気の無い組織内の人間」だとか、「世の中の影響を受けにくい人々」だとか、「本当は大きい問題なんだけど、忘れられてしまったような問題」というものがあります。で、これらのものにも燃えやすいものと燃えにくいものというものがあります。燃えやすさについては物質の燃焼と似ている部分が結構あります。具体的な部分としては
「分子量が大きければ大きいほど燃えない」≒「技術、知識、世間、年齢などのつみかさねが大きいほど燃えない」
「同一分子に限らず固体密度が高ければ高いほど燃えない」≒「立場(二軍での冷や飯具合とか)見解を同じくするコミュニティーの結合が大きく、強いほど燃えない」
核反応(爆発含む)を「燃える」という風に表現した場合はさらに如実で、
「原子量が不安定(ウラン138とか)ならば燃えるが安定していれば燃えない」≒「コミュニティーに不安定因子があれば燃えるが、無ければ燃えない」
「ぶつける中性子が遅ければ燃えるが早ければ燃えない」≒「コーチとかリーダーなりの指導が丁寧なら燃えるが、ぐっと踏み込んでパーンだと燃えない」
「重力が強ければ強いほど燃える(恒星)が、弱いと燃えない」≒「(コーチなり外部なりの)圧力が強ければ強いほど燃えるが、弱いと燃えない」
とまあそんな感じです。解決策としてはやはり燃えやすい環境を作るというのが大切だと思います。しかも化学(ケミカルの方)で検討した方が良いまで言ってしまいましょう。
・分子量を軽くするための方策を採る(化学変化させてみる)
・遠心分離して燃えやすいように調合し直してしまう
・不安定因子を取り出して燃やす
・一つ一つに中性子を大量にぶつけてみる(減速材と制御棒のバランスを変える)
・圧力を強くしてみる
燃えにくいものに火を近づけるということはえてしてもっと燃えにくくなるという結果を招きやすい、という点も見逃してはいけません。いっそのことどうしようもないぐらいの強烈な火の中にぶち込んでみるとか、新聞紙に包んでみるとか、そういうこともあるとおもいます。
友達が自然発火可能性について熟慮しているので、それはどうしたものかと思っている次第です。
ここんとこ日記の文章が異常に長いな…。
平成11年12月8日(夜版2) 予算切り崩し
予算案が否決されて国会が大いに長引き、卒論という本題の前に倒れたヤマナカです、こんにちは。
丹頂君が遊びにきたので、食事について多少の検討をしたのですが、Oさんのお誘いなどが重なったりしたために、3000円の中華料理を食うということになりまして、引きずられるようにしてホテルのレストランに入りました。で、食ったらやたらとうまかったのです。Oさんと丹頂君に散々にいじめられながら食う食事は大変美味しかったのですが、寝不足、かつボーリング、そこへ体調不良と予算の切り崩し、などやる気をなくす材料がきれいにそろって、卒論前にリタイアです。大体いじめられながら食べる食事というのは、大変に楽しいものですが、正直言ってどうでもいいやという気分にさせるにはこれ以上無い物でした。
卒論そのものの原案というものは進んでいるのですが、書いていた卒論がどうしても「はよ帰りたい」という勇み足な文章になってしまったりとかなんとかで、書けば書くほどドツボにはまるというか、正直言ってつらいのでリタイアします。明日どうしよう…。
平成11年12月8日(夜版) ボーリング
なんでおネエ言葉で?ヤマナカです、こんにちはン。
丹頂君が遊びに来たので、かねてから懸案のボーリング10ゲームを実現にし行きました。目標は10ゲームでスコア1000。まあ五ゲーム目からスコアが急落することを考えれば当然の行為ではあります。一ゲームからあんまりに調子が悪かった(スコアたった39)のですが、調子が悪いのどうのといっているうちに何故かおネエ言葉によるボーリング大会に。藤川サン(仮名)がとってもダンディーだったのョ♪。
そのうち、まあそんな喋り方でゴロゴロやってたら最終的にはクセになって、なぜかスコアもあがっていき、何とかギリギリスコアは1000をマークしました。
「地球上からブリいなくなっちゃうわヨォ!」
とおネエ言葉で大声で騒ぎましたが、誰も相手はしてくれませんでした。福井も幸薄い町だと思いました。
12/8/99(朝版) 自己非信用性能力
寝不足なのに今日は徹夜予定の山中です、こんにちは。
ここの所というのはものすごく偉そうなことばかりを書いているのですが、それというのも言い訳があってのことです。私なんぞは自分の頭の悪さだとか、大人げなさだとか、どうにも知ったかぶりなところとか、そういうのに凄くコンプレックスがあって、ますます芝居けが強くなるという悪循環がある人間だ、というふうに思っています。思っているうえ公言してます。でそこで、無知の地を気取る気というのも毛頭ないわけで、よせばいいのに自分を屁理屈武装する、と言う癖を持っているのですが、これは結構便利なことでもあるわけです。物は捉えようというもので、自分にとって都合の良いように解釈するということは自分の頭が悪ければ悪いほど役に立って、また頭が悪くないとできない行為です。だから、頭が悪いということはむしろ自分にとって誇りでもあるわけで、最終的には自己満足の世界に逃げ込むことができることができる、ということですね。だから一瞬でも自分の頭がいいな、と言うことが頭を過ぎったりした時には、逆に自分の頭の悪さが際立ってしまう、と言うちょっと嫌な一面もありますが、それ以上に便利なので、僕は徹頭徹尾自分の能力を信用することなく、妙な劣等感を持ち続け、それによって他人から見ると凄く嫌な種類の余裕と優越感を持っているわけです。「ポンコツだけど、ポンコツだからこそ都合がいいように改造できるんだぜ」みたいな優越感は、常に僕の持っている所で、そのへんが偉そうになる理由でしょう。
それでも極稀に、ポンコツなりに改造できないことというのがあって、それがあるとものすごく不機嫌になってしまう一面があります。頭が悪い人間の限界というのは、頭が良い人間よりもっと向こうにあると思っていますが、どうにも、僕にも限界があるようで、その辺に気がついてしまうと、自分がただ頭よさそうに振る舞っている人間に見えて、なんとも情けなくも、腹たたしくもあったりするんです。
1999年12月8日 まあいろいろ理由があって
ものすごく不機嫌、で寝不足。
平成11年12月7日(夕版) ふが。
バッティングセンターが工事中だった…。
1999年12月7日 一発攻勢
中日ファンヤマナカです、こんにちは。ランナーが出るとピッチングが変わる投手と言うのはたくさんいます。
得点圏打率が高い打者と言うのがいますが、得点圏被打率、あるいは被走者被打率が高い投手と言うのもいる訳です。で、有走者被打率が高い投手と言うのは、大体ランナーに気を使わなくてもよい場合ってのは、被打率が低い訳で、そうやって何とか一軍で頑張る能力を得ている訳です。
まあそうなるとチームバッティングができる江藤なんてのは結構そういう有走者被打率の高い投手の攻略には向いている方ではあるのですが、ここには一つミソがあって、江藤選手の前にいるランナーだった選手と言うのは、緒方野村前田ディアス東出といったなんとも癖のある走者ばかりで、たいして足もないのにうろちょろして投手に嫌がらせをします。で、こういうのができるかできないというのは環境が作用するもので、一般に自分が走る選手である場合、走者がうろちょろしてもたいして問題ないのですが、意識がない選手は返っていやがるため、走者は走らないようになります。そうなってきますと得点圏打率は逆に集中力勝負で勝てる選手と言う事になりますが、走者を気にしないで良い場合、甘いコースになげさせる馬鹿な捕手というのはいない訳で、ある程度の打球予測から次の打者までを視野に入れた組み立てをする訳です。そうなるとホームランバッターに対する得点圏被打率はぐんと下がります。一般に一発狙い選手が多いチームというのは、投手としては怖いのですが、捕手としては一発を気をつければ後はさほどに器用さがない、というチームになります。
そうなると流し打ちというのが得意な選手というのはあまり意味がなくなりまして、仕方がないから内野の間を狙う事になるのですが、それで引っかけてダブルプレーと言うのはよくある話で、結局チームバッティングができる選手は、チームバッティングしかできない選手と言う風に変換され、チームが変わった瞬間に打てなくなると言う形がよくあります(ホームランをねらえば良いのですが)。要するにチームバッティングができる選手は”走らない(走れないではない)”チームでは活躍できないという事になります。具体的に”走ってくる”チームは「広島、西武、ヤクルト、中日(今の)、横浜」”走る選手がいる”チームは「ロッテ、オリックス、近鉄、ダイエー、日本ハム」”走らないチーム”は「読売、阪神、昔の中日」と言うふうです。そういうわけで、チームや、打順の組み合わせによってはチームバッティングは毒にも薬にもなります。チームバッティングができる選手は、なまじ持っている実力のために、どこに打っても中途半端になってしまうのです。言いかえせば走れないチームにおいてチームバッティングは弊害の方が大きくなるといっても過言ではありません。それがなまじホームランバッターである場合というのは始末が悪く、一発警戒の球ばかりを投げてくるようになるわけです。走ってくるチームだと一本ヒットが出た瞬間に点が入るので、「とにかく打たれない配球」をし、それを見事にシフトの裏に落す技術で打点を稼いだりランナーを進めたりするチームバッティングですが、一発警戒の時となるとそうはいきません。考えて見て下さい、一発警戒の時にヒット狙いに切り替えて打てるような選手はホームランバッターどころではなく、三冠王を3回取っても足りません。ホームランバッターは難しい球はホームランにしようとするのが一番理想なのです。要するに外角スライダーが打てない選手は走らない打線では不要です。逆にとにかく打っちまえ、と言う選手は得点圏打率が非常に高くなる傾向があり、こちらは決めうちをすることなどが原因としてあげられます。元木などは典型でしょう。
中日に移籍した瞬間に、ただの好打者だった関川が勝負強いバッターに変わった事、久慈が狂ったように打ち出した事、それから比較的走っていた当時のオリックスからまったく走らない阪神に石嶺が移籍すると、これでもかと言うほど打てなくなったこと、西武と言う素晴らしく走れる球団にあって清原という右打、一発なんでもござれな選手が、読売という走れない球団に移籍し、責任感のあまりに打てなくなってドツボにはまる、といったこと等が、チーム打撃における移籍の成功、失敗例としてあげられます。同様にランナーがうろちょろしなくなったおかげで打てるようになった選手と言うのもいて、打順を足の遅いランナーの後ろに下げた直後に打つようになる選手(大豊とか田辺とか)がその好例です。また走るチームに在籍しなかったために活躍した選手もいます。落合はロッテ、中日、巨人と走らないチームを渡り歩いて活躍し、そこそこ走る日ハムで仕事ができなくなって引退しました。まあこれは明らかにこじつけですが。
そういう訳で、読売が獲得した選手の中で、田辺は成功だが、江藤の場合ちょっと長打力のある元木、と言うぐらいでさほどの成功とは言えない、と言う結論が導き出されます。で、そこにひとつ打開策があります。打順の変更、走塁コーチの変更です。足の速いランナーを上位に集め、積極的に走らせる事です。これは清原でもそうです。清原は四番におかれるせいで持ち前のチーム打撃すらできなくなってしまったのです。清原が打てなくなった理由は数多くありますが、この一面が一つの原因になっていたと思います。
具体的には、
1 (4)仁志(7高橋)
2 (6)二岡(清水)
3 (3)江藤(清原)
4 (8)松井
5 (7)高橋
6 (9)清水(マルチネス)
7 (5)田辺
8 (2)捕手
9 (1)投手
条件は一番から三番までは走る事。四番からは打つ事に専念する事。
で、見てみるとわかるのですが、読売のほとんどが走れる選手なのですが、技術と意識の欠如により誰も走らず、また代走もいません。もったいない限りです。
で、まあ読売が清原を飼い殺すような事はできるはずがないので、打順はおそらくこうなります(かえって飼い殺す事になりますが)。
1 (4)走らせてもらえない仁志
2 (9)難しい打順に疲れた清水
3 (8)打順なんか関係ない大打者松井
4 (5)新併殺王江藤
5 (9)それでも打ちまくる高橋
6 (3)併殺三振マシーン清原(嘲笑うかのようにシーズン途中から出てきて打ちまくるマルちゃん)
7 (6)打順的飼い殺し二岡
8捕手9投手。ああ、もったいないもったいない。走れば、意識改革ができれば…。
そういう訳で、このチームを強くする、最も簡単な方法があります。監督を広岡達郎にする事です。人気は凋落し、辞める選手も出るでしょうが、例え半分の選手がやめても、優勝できます、今の戦力なら。
しかしそんな巨人は見たくないので、長島監督フォーエバー。(次期は原監督を切望)
1999年12月6日 うわい
徹夜明けヤマナカです。学校来てすぐ初心者マークのセリカが痛烈な勢いでカーブを紛ってきてすれ違った時はかなり怖かったです。
1999年12月5日 ミルコ
K−1ファン山中です、こんにちは。多くの格闘技ファンの皆さんと同じく、全くのドシロウトのくせに知ったかぶりしながらにやにやと対戦表を見ながら予想しました。以下は予想と結果。および寸評です。
レイ・セフォーVSサム・グレコ
予想 グレコのK・O勝ち(2ラウンド 2ノックダウン)
結果 グレコ(判定)
レイ・セフォーが強いってな話もよく聞いてが、うまさも覚えてきたグレコが2ラウンド目にカウンターからラッシュ!とふんでいたが、全然予想は外れて判定。やっぱりセフォーは強いのか…。K−1はわからん。
武蔵VSミルコ・フィリポビッチ
予想 ミルコのKO勝ち(1ラウンド・テンカウント)
結果 ミルコ(2ラウンドK・O 右ハイキック−レフリーストップ)
一発がある佐武ならともかく、ローキックとミドルキックしかない武蔵。どう考えてみても武蔵が勝てるとは思えなかったが、そのローキックが意外と効いてミルコ焦る焦る。ミルコの体力温存マッチとなるかと思ったら、首投げするわバッティングするわで、ミルコがクロアチア人ぶりを発揮しまくりで、これは武蔵か?と思ったのもつかの間。武蔵の視界はミルコの横暴とも思える試合展開でぶっ潰され、足が止まる武蔵、チャンスをつかんだミルコが一気加勢に攻め込んで何とか勝利。意外と武蔵が前線したのが印象に残った。
アンディ・フグVSアーネスト・ホースト
予想 ホーストのKO勝ち(3ラウンド テンカウント)
結果 ホースト(判定)
ホーストのコンディションが悪いといっても、アンディだって最近さほどの強さも感じられないってんで、多分3ラウンド目ぐらいにローキック不発のアンディにホーストの踏み込みストレート炸裂、そのままコンビネーションで殺すと予想。が、ホーストのコンディションが悪いという事はなかったようで、危なげなくホーストが判定で快勝。
ピーター・アーツVSジェロム・レ・バンナ
予想 アーツのKO勝ち(3ラウンド テンカウント)
結果 バンナ(1ラウンドK・O テンカウント‐左フック)
なんかバンナ嫌いの僕はどうせ試合開始早々突っかかっていって2ラウンドまで善戦しながらも、3ラウンド目に疲れてハイキックで死ぬ、と思ってました。が、バンナはアーツの痛烈なハイキックを受けてもなおも突っかかっていき、左フック一発でアーツを沈めた。これは本当にビックリ。とんだ一杯食わせ者じゃあなかったのか、バンナ。
アーツファンとしてはこの事故みたいな負け方にチョットがっくり。
サム・グレコVSミルコ・フィリポビッチ
予想 ミルコの判定勝
結果 ミルコ(2ラウンドK・O 2ノックダウン−ローキック集中)
武蔵相手に体力温存マッチをかましたミルコが、グレコの突進をあしらいながらハイキックのカウンター一撃でダウンを奪ってそのまま判定勝、と踏んだが、ミルコバテバテ。これはサムのK・O勝ちかと思ったら、今度は自滅。ミルコ、思いっきり運がいい勝ちかた。ミルコさん期待しすぎでした。やはり私はクロアチア人に弱いのか?
アーネスト・ホーストVSジェロム・レ・バンナ
予想 ホーストのK・O(予想では相手はアーツ 3ラウンド・テンカウント)
結果 ホースト(2ラウンドK・O テンカウント−右ストレートから左右ラッシュ)
アーツとホーストがお互い3ラウンド戦ってきたと考えて予想した私、アンディとのローキック合戦で適当に疲れたホーストとバンナの化け物突進を受けたアーツ、疲れ方ではアーツが厳しかろう、と思った私はホーストが体調悪い中退いて退いてアーツを疲れさせ、三ラウンド目に一気にペースチェンジし、バンナのハイキックより一瞬早く右ストレートを入れてキックをかいくぐり、膝を入れて仕留めると予想。だいたいアーツは組み合わせ悪すぎだと思っていたのですが。
結局バンナが勝ち上がってきたのが既に予想外で、またバンナのボクシングが意外とうまかったのが予想外で、またバンナにカウンターが通用しにくいというのも予想外だった私。その上にホーストの体調も別に悪くなかったと来ていた。残念ながら嫌いなバンナが勝ってそのまま優勝かなあ、と思ったら、流石にホーストで、2ラウンドめ頭に距離を瞬時につめてヘビー級ボクサーの弱点のガードのまん中にストレート一尖。あとは左右側頭部に一発ずつ、ラストに左右あごの先端にフックをぶち込み、ドリブルフックというアーツ独特のコンビネーションで一瞬で仕留めた。結局なんだったんだ、バンナ。
アーネスト・ホーストVSミルコ・フィリポビッチ
予想 ミルコのK・O(2ラウンド・テンカウント‐左ハイキック)
結果 ホースト(3ラウンドK・O テンカウント-左フック)
結果的にあっていた決勝の組み合わせだけども、内容といったらこれ以上ないほどに違いまくっているやはり素人の私。何でこのカードになったかもよく分からないまま試合を見る。
予想の方はアンディとアーツの二人にフルラウンド戦ってきた上に体調も良くないホーストが1ラウンド目に勝負をかけ、一つダウンを奪うが、いい加減疲れてきた所にミルコのラフファイト炸裂、2ラウンド目に訳がわからなくなってきたところに左ハイキックでミルコが勝つ!クロアチア人万歳!と思っていたのが、はっきりいって展開も何も違い過ぎる上にバテバテなのはホーストではなくミルコ。展開に恵まれて勝つところまでは当たっていたものの、ミルコに勝ち目が無いぐらいフラフラ。
ミルコ頑張れと思って応援するがミルコ痛い痛い。体中ボロボロで、足痛いアバラ痛いのところにホーストの精密極まりないコンビネーションが決まってあっさりとホーストが王者に。
今回のグランプリで一番ビックリしたのはバンナがむちゃくちゃ強かった事ですが、ミルコがあんまり強くなくて、しかもそれでも決勝まで勝ち上がってきたという事は、私にとってかなり嫌な的中の仕方をした予想でありました。
結局グランプリを通じてはずした予想はわずか二つ!しかしながら展開を当てたのは一つも無し!全部はずれ、しかもかすりもせず!しばらく自称K-1ファンはやめます。
1999年12月4日 水戸黄門は権力乱用?そして身分詐称(越後のちりめん問屋)?
徹夜明けなのでえらそうな事を言うヤマナカです、こんにちは。昨日はG氏と「ものは言いよう」という話をしていたのですが、家に帰ってぼんやり考えていたら、考えが面白い方向に飛躍したので少し書き留めます。
毎度毎度徹夜明けだと、どうしようもない私ですが、今回も一人で騒いで楽しみます。偉そうに。頭があんまり良くない(キレない)ときて、運動神経もあんまり良くない上に、たいした経験もしてない私ですが、取り柄がありまして、それは非常に良く考える頭を持っているというところです。で、まあ子供の頃から口喧嘩に関しては負けた事がほとんどないという実績を誇りまして、頭で考えるより口が早いようなところとか、気が短いところとか結構あったわけでして、くだらない事で悩んだりとまあ量産型の人間でございました。そういう風だと、まあ自然ヤセ型の人間になるわけでございまして、昔は全然肉が付かない体質だとか思っていたのですが、実はそうではなく、まあ悩みが多かったり運動量が異常だったりするという部分がそういう体格の原因になっていたわけでして。まあ悩みというものも解決する方策というのが見つかってくるようになると人間安心してご飯が喉を通るようになるわけでして、私の場合ジュースとか飲む量が増えたりしまして人並みに肉が付くようになって参ります。
で、今度は小学生特有の「特にさほどの理由のないいじめ(悪い奴は誰もいない)」とかにあったりしまして、そうなると人間なんでいじめられるのかとかどうすればいじめられなくなるのかと言う事を考えるわけです。それでただでさえ理屈っぽい僕が小学生にしてすでに不干渉主義とか、受け流し話術とか、どちらかというと厭世的で何を言ってもこたえない精神とか、相手をあきれさせてしまうような詭弁とかを持つに至ります。そうやって私はターボをかけて太っていきます。それに中学高校の学力不足、クラス編成の妙、良質の友達の影響、親の考え方の吸収、異常に効率の良いダイエットなどを経て、「人生なるようにしかならない」という人を馬鹿にしたような哲学を持つに至り、まあがんばったらがんばっただけなるようになるし、そうじゃなかったらまあそれなりにしかならないという余裕みたいなものを持つに至って、「なんか知らんけどがんばれる」ようになります。そうなってくると人間しめたもので、もともと英語以外の勉強をやらせておけばそこそこできる僕は、英語に1日7時間をささげる馬鹿みたいな受験勉強の末、福井県立大学という大学に入る事を得まして、そこで大量のコーヒーと時間によって自分の考えが、それなりに進歩的な発展を遂げ、現在に至るわけです。そうなってくると、まあ結構効率の良い考慮時間で自分独自の理論というのを作るのが楽にできる。
こうすると天性の理屈っぽさと「なるようにしかなるわけない」という詭弁を使って誰が何を言っても全部に反論できてしまうという、まったく必要ない能力が持てます。こうなってくると世にあるイデオロギー論争というのが、どうしても苦手になるんです。僕の目から観るとイデオロギー論争(哲学論争とか、国旗国家とか、右とか左とか、共産主義とか民主主義とか資本主義とか自由主義とか)っていうのは常に言葉上の戦いにしか見えないんです。だから僕がそれ事体にはすごく意味があるとは思うのですが、参加するのが大嫌いになってしまうのです。そんな弱い人間なので、僕は人に影響を与えるような相談というのは、まずほとんど乗った事がないです。相談を持ち掛けられたら、だいたい突き放します。でまあそういう訳で、イデオロギー論争ってのが嫌いになってくると、悪いところというのは見えてくるものです。それがあまり的を得ていないというところまで気が付いていますが、それでもそうやって言ってなるべく避けます。ちょうど嫌いな食事をみたら、いくらでも文句が言えてしまうのと同じでこれは仕方のないところです。だから世の中のイデオロギー論争には欠けているなあと思われる視点に対してこうやって注文を付けてみますが、誰か適当な答えを返してくれますか。
・ 井の中のかわず大海を知らず、しかし大海の魚井の中を知らず
・ 無知の知は確かに存在する。が、「知あるゆえに分からない事」という事も存在することに気が付く人は少ない。
・ イデオロギー論争は言葉の遊びですか?
・ 屁理屈と理屈の違いはどこですか?
・ 定義って何ですか?人によって違うのならそれは「定説」とかわりません。
・ 当然と言う言葉は環境によって変わるものだと思いませんか?
・ 「自分は他人をマインドコントロールしている」と疑う事はありますか?。無いのなら、イデオロギー論争の議論とどう違いますか?
・ 議論に勝ったからといって正しいとは限らない。たとえば肉食動物が草食動物を食べるのは、肉食動物のエゴだという考え方をした事がありますか。
最近のイデオロギー論争というので最も大きなものというのはやはり君が代法制化だと思います。別に法制化に関して何の意見も疑問も持たない私ですが、論争が始まったりそれが報道されたりするとウンザリするんです。どう思っているかを敢えてイデオロギー論争調の言葉で言います。「国家は国の歌であり、それ以上でもそれ以下でもないと思うが、なんだか分からなくなっている意味を無理矢理ほじくりだして間違っているだの、解釈によれば正しいから法制化するだのを論じるようなことは『おしどり夫婦ということばは仲良しという意味で使われているが、おしどりの習性上それは間違っている』と生物学者が辞書の会社に電話を入れるようなものだと思うがどうなのか。」
もっと別の言い方でいうと「かごめかごめ」という歌は、ほんとは怖いから子供には歌わせないと規制するべきですか。
さらにいうと、「どうでもええやんか、そんなもん」
イデオロギーというのは人の考え方ですから、人それぞれで千差万別で、それが正しいとか正しくないとかいうのは時代の倫理によって変わっていくものです。間違っているか、間違っていないかが、その人の考え方すべてを否定するような議論になりがちな感情的論争は、このままじゃ必ず失敗するよ!と脅しをかけるカルト団体とさほど違いが無いと思います。イデオロギー論争は意味があると私も認めますが、必ず付いてくるヒステリックな団体がいて、なんかその考えに触れるという事は僕は嫌だ、ということです。
Aという考え方とBという考え方、それのどちらかが正しくてどちらかが間違っているという二次元的綱引きではなく、CというAでもBでもその中立でもない点というのを持っている人がいます。酸性洗剤(賛成千載・タカ派)とアルカリ性洗剤(有るか?理性潜在・ハト派)を混ぜて中和する作業そのものは実験するぐらいの意味があるかもしれません。しかし、その作業に巻き込まれて中毒死したらその責任は誰が取ってくれますか。
平成11年12月3日(夕版) あのパンがまた食いたい
最寄りのカフェドクリエの場所を教えてください、誰か。お願いだから。
イチロー結婚おめでとう。
1999年12月3日 来週から
週刊とんかつファンヤマナカです、こんにちは。カレー、とりにく、お惣菜、ほうれん草に千切りキャベツ、卵、かまぼこ、揚げ、豆腐、そこにインスタントラーメンで一人暮らしの自炊にとどめを刺す訳です。最近は外食が多くなっているために自炊は減っていますが、大体こんな感じで、晩飯を作っています。あくまでモデルケースですが。
月曜日 ジャガイモ、タマネギ、ほうれん草、ニラ、かまぼこの即席カレー丼
火曜日 もやしとニラの炒め物(醤油) もやしのサラダ もやしと豚肉の炒め物(ソース) ご飯
水曜日 ラーメン屋
木曜日 鶏肉のボイル 千切りキャベツとゆで卵 厚揚げのやいたもの。 ご飯
金曜日 鍋回肉 ニラたま さらすぱサラダ 豆腐 ご飯
土曜日 とんかつ屋
日曜日 ポテトサラダ 鶏肉とニラのカレー炒め コロッケ(お惣菜)
大体こんな感じで、後はたまにどんぶり物を作ってみたりとか、かまぼこをそのまま食ってみたりとか、7分カレー作ってみたりとか、レトルトカレー食ってみたりとか、回転寿司食いに行ったり、ファミレスに行ったり、カレー屋に行ったりとかですが、現在のところ、ほぼ自炊と外食の割合が逆転しているので、土曜日あたりから自炊強化をはじめようと思います。
買い物メニュー
キャベツ もやし 厚揚げ 豆腐 ニラ ほうれん草 タマネギ ジャガイモ 鶏肉 豚肉 アスパラガス ニンジン 卵
ノンオイルしそドレッシング 赤味噌
つきましてはヤマナカ食堂のパトロンを募集中です。
平成11年12月2日(夕版) 幕末ラーメンシリーズ
風邪ひきやまなかです、こんにちは。
サンクスとサークルKの共同企画で、幕末ラーメンってのが出て、幕末土佐、幕末水戸、幕末薩摩のみっつなんですね。薩摩は分かりますが、何で水戸と土佐ですか。味が水戸と土佐ならつけやすいって理由だったら別に幕末にする必要はないわけですよ。水戸と土佐、何故ですかなぜですかナゼですか定説ですか。いや、わかります。維新の原動力となったいわゆる水戸学の尊王史想、初期尊王活動に暗躍した武市半平太と、大政奉還にこぎつけた後藤象二郎、そして最大といってよいヒーロー坂本竜馬を排出した土佐、わかります。しかし、しかしですよ?何で長州がないんですか。毛利嫌いですか。吉田松陰嫌いですか、高杉晋作嫌いですか。それとも味がつけにくいとかそんな理由ですか。
どうせ水戸とか土佐も土地の味を無理矢理つけただけだから、長州だって無理矢理つけてあげたってよさそうなものです。山口県が誇る味というのもあるはずです。そして何より長州、ちょうしゅう、チョーシュウ、チョーシュー、チャーシュー…。
私が悪うございました。
1999年12月2日 困ったなあ…。
頭が冴えねえ。
1999年12月1日 おめでとう
法の華強制捜査。