2007年12月27日 愚痴と孤独のメカニズム
若干精神的に弱っている山中です、こんにちは。愚痴を言うときというのは自分が間違っていないということを確認したいときだと私は思うのですが、最近は愚痴が多いのですよ。つい、口に出してしまう。
愚痴を言うってことは自分が間違っていないと確認したいわけで、愚痴が多いということは、自己弁護のためのハードルが低くなっているということ。文句言うならテメエでやらなきゃ、失策は我にありだ、そう思わなければ、そう思えなければ成長は止まる。そう思いながらやっているにもかかわらず、ついつい愚痴が出る。その愚痴が正論であれなんであれ、愚痴であることには変わりないから、やっぱりまずい。愚痴を出す自分が嫌だから、「しゃべってる暇あれば働かなきゃな、オレも」って口に出してみるけど、なかなか気持ちも体もついていかない。うまいこといかんなあ…。
さあ、頑張るぞって、口に出して自分にプレッシャーをかけないとがんばれない。疲れているわけではないし、追い込まれているわけでもないんだろうけど、なぜだろう。つい、ため息が出る。一人になると、孤独で仕方がない。忙しくて仕方がないのに、一人でいると、孤独を感じてしまうのだ。いろんな人にいろんなことを言われるのに、孤独を感じてしまうのだ。だから、愚痴が出るんだろう。
ならば、孤独のメカニズムはどこにあるのだろうか?居場所があるか、無いか、ということであろうと思うのだ。自分がそこにいることが許され、さらに自分がそこにいることが望まれているならば、きっと一人でいても孤独など感じないのだろう。周りにどれだけ人がいて、周りの人が笑顔で話しかけてきてくれるのだとしても、自分の居場所をそこに見つけることができなければ、きっと孤独になってしまうのだろう、と思うのだ。だから、今の僕には、居場所がない、必要とされていない、という感覚があるのだと思う。だから愚痴が増えるのだ。
居場所はどこ、なんて見つけにいって見つかるものでもない。僕の居場所はちゃんとあることもわかっている。でも、それでも愚痴が出てしまうということは、自分に何かが足りないのだろう。自信がないのだろう。
…ならば。頑張るしかねえよな。
せめて自分だけは自分の味方になってやらなければなるまい。そして、せめて自分にぐらいは認めてもらえる自分であるべきだと思うのだ。失策は我にあり、自分との戦いは死ぬまで続く。口に出さないと頑張れないなら、口に出すだけのこと。
さあ、頑張るぞ。
2007年12月25日 メリークリスマス!!
クリスマス好きのヤマナカです、こんにちは。作り出されたお祭り騒ぎ、踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃソンソン!ってなわけで昨日の晩飯は一人でケーキそして、鶏肉、ポテトの入ったバスケット。発泡酒で乾杯!
で、今日は家でじっとしています。職場で胃腸風邪か食中毒かが流行っていて、巷ではインフルエンザも流行っている様子。健康な体もプレゼントみたいなもんだよな、無事これ名馬!ってなわけで一人でテンション高く、家で寝クリスマス。
何にもしないのも芸がないので、攻め言葉ランキング年間を更新。
…いい年だったな、今年は。
うん。最後に笑えればそれでいいやあ。
2007年12月22日 もう嫌だといっても逃げ出せないことぐらいは
もうわかっている山中です、こんにちは。でも嫌だ、といいたくなってしまう今日この頃。もうイヤッて言えるってことは多少余裕があるんだろうなあ。本当に嫌なら、そんなことも口にしないんだろう。具体的にどうやって逃げ出そうか考えて、結局逃げ出せないことを思って泣いてしまうんだろう。ああ、切ない。
余裕があろうがなんだろうが、嫌なものは嫌、でも逃げ出せないってんで、仕方がないから頑張るわけで、ふとため息ついて、休息時間に現実逃避。ロックドゥカンブからポップロック、そしてインティライミが入れば千円持ってれば億万長者だな!とか良くわかんないことを思いながら現実逃避。実際のところそんな人生甘くないと思いながらも、そんな馬券を買ってみる。でもどうせ当たらないんだろうな、と思ってなんとなく笑ってみる。
これからは小売業はジェットコースターに乗ったような忙しさで、実際のところは精神的には楽だったりする。何をするかなんて決まっている。嫌な思いをする事だってわかっている。でも、それがわかっているなら、別に問題ない。予想を超えられなければ別にたいしたことはない。問題は予想以上につらいことだが、年末に限ってはそんなことはないのだ。
ああ、2007年が終わる。
僕にとって大きな成長がありながら、大きなものを手に入れながら、大きなものを失ってしまった2007年が終わる。時の流れには逆らえない。もし2007年の半ばに戻ることができても、僕が僕である限り、同じ失敗をして、同じように落ち込んで、同じように悩んで、同じように泣くのだろう。そして同じように、失っていくのだろう。切ねえ。
でも、もう一度失ったものを取り戻すチャンスがほしいと、いまだに思って吹っ切れないでいる自分。今の仕事も、今の自分も、今の立場も、今の環境も、全部が嫌で、逃げ出してしまいたいと思っている。でも、逃げ出せないことぐらいわかっている。年末にちょっといい事があったりしないかなあ…。そんなことを思いながら、毎日を闘う。ああ。
信じるしかない。その道を通らなければ得られなかったものは、失ったものよりも大きかったと信じるしかない。得た何かが大きかったのであれば、きっと僕は幸せに生きているのだろうと、信じよう。
2007年12月21日 今年を振り返る
くそ忙しい山中です、こんにちは。どうせ今年もあとはロクなことが無いので早くも今年を振り返る。
序盤戦は特別に何も無く、とりあえず職場の上司が変わった程度。中盤戦が結構幸せな日々から一気のどん底のどん底に落ち、そこを突き破ってさらに落ちた時期。何とか持ち直した終盤戦はいつもどおり何もなし。忙しいのはいつも通り、何も無いのはいい事だとは思うけど、人間何も無いのでは物足りないので、結構しんどい。
世の中はさほど明るいニュースはない。アメリカで銃を乱射する人間もいたし、日本で銃乱射する人間まで現れた。いったい何が正しくて、何が間違っているかわからないけど、そんなことはきっといつ始まったことでもないのだろう。たぶん、今まで気が付かなかった悪いことにも、気が付いてしまってもっと嫌な思いをする世の中なのだと思う。だったらいっそ気がつかなければいいのに。
さて、もう一度僕の一年を振り返る。たぶん僕も、気が付かなければもっと楽しい人生を送っていたのにもかかわらず、気が付いてしまって勝手に悩んだ。人の悩みまで勝手に背負い込んで、自分がもっと悩んでしまい、そのうえ立ち直る事も難しいところまで行ってしまった。あまり言いたくないが、いまだに立ち直りきれないでいる。でも僕は、自分のことには、きっと気が付いたほうが良かったのだろう。それで人生が楽しくなるわけでは決して無いし、いつも思うが頑張って人生なんて好転なんかしない。でも、気が付いて、頑張って、悩めばそこらへんに落ちている楽しいことにも気づける自分になれるし、もしかしたら、誰かに気が付いてもらえるかも、なんて思ったりするのだ。
ここ数年、僕の人生はどん底だった。これ以上ないぐらい、どん底だった。今年もさほどいい事なんてなかったし、どちらかというと落ち込んだほうが大きかった。でも、別にそんなもんなのじゃないだろうか。毎日が辛かったといえばその通りだが、毎日おいしいもん食べて、毎日気持ちよく寝て、車の中で歌うたって、歩きながら口笛吹いて、そんな余裕を取り戻せたのではないか。競馬で当たらなくて「うげーーーー」なんて言えるところまできたんじゃないか。
長いスパンでみれば、結構、上向いているんじゃないか。さあ、頑張るんだ。
運が悪くても、結構耐えられる自分にはなってきていると思うのだ。あとは運が上向いたら、それをめいっぱい味わうだけなのだ。いまだに立ち直っちゃいないけど、たぶん新しい世界は近づいていると思うのだ。扉がどこかにあると思うのだ。あとは見つけるだけ。今までは扉があっても明けられなかったかもしれないけど、今の僕ならきっと開けられる。開けてみせよう。
どうせ今年もろくなことはないけど、来年のことを言うよりまず今年頑張りぬこう。もしかすると何か見つかるかもしれないから。
今年は「いい年じゃなかった。でも、悪い年でも、決してなかった。」
2007年12月7日 ボウナス
貧乏人ヤマナカです、こんにちは。仕事が出来ない、頭が悪い、要領が悪いの三拍子そろった私は給料がとても安いわけでございまして、なかなか儲からない商売をしております。会社を呪うよりまず、自分の出来なさを呪う。
まあ、そんな私でも、ボーナスは人並みにありまして、今日はボーナスの支給日でした。でもATMには行ってないわけだこれが。実家に帰って床屋さんに行って、いつものように笠松競馬場へGO!競馬なんかで儲かるわけが無いんですが、これが最近負けないわけで、今日も勝って帰ってきました。これがボウナスだ、うん!
実際のボーナスはきっと安いんだろうなあ・・・。自分でボーナス出さなきゃ。
2007年11月28日 ホイッスル
代名詞は口笛のヤマナカです、こんにちは。ええ、口笛だけはうまいですよ。ほとんどふけない曲はないって感じです。へへへ。だからなんだって感じですが。
2007年11月27日 おいしい魚が食べたいのよ。
肉魚野菜みんな好きなヤマナカです、こんにちは。
まあ、贅沢といえば飛騨牛ですが、やはり魚も捨てがたい。家で食べるのはやはり魚が一番!ってなわけで、近くにスーパーが二件も建ったのでいってきました。もちろん目当ては魚売り場。
一件目は家から歩いて3分のところにあるヨシヅヤ北テラス。あまりおいしそうな魚は無いので、なんとなく寿司を買って帰る。寿司も普通でちょっとがっかり。夕方に車で5分のところにあるオークワ愛西店。ここは魚はおいしそうなんだけれど、それなりにお値段が張ります。でも魚売り場に寿司が置いてあったところに好感を持って、寿司を買う。これがうまい!でも津島近辺だと、やはりヨシヅヤの本店が一番おいしくて安い魚を売っています。勢力図は塗り換わらないなあ、これじゃあ。
まあ、私そういう小売業界の人なんですが、とりあえず、生活が便利になるのはいい事なので店がたくさん立つのはいい事だとおもってます。自分ところの売り上げが奪われるっていうんなら、全力を持って阻止するけど、悪いけど、負けると思わない。
そんなこんなで、おいしい魚が食べたいのよ。
2007年11月20日 税金上がってもいいけどさあ。
サラリーマン増税でも別にいいです、ヤマナカです、こんにちは。配偶者控除も見直されるらしい。サラリーマン増税ねえ。金が無いんだから政府がそういうことをやるのは仕方が無いよねえ。でも、そのうえで「株主利益を保護する」とか「弱者に再配分する」とかそういうのは無いんじゃねえの?利益を保護されるべきなのは国民全員じゃねえの?国の税収が足りてないことはよくわかるので、税金がかかることに異論はない。奥さんが働くのも当たり前の昨今だから、配偶者控除が行われるもの異論はない。ただし、わからないのは低所得者層に再配分しようという考え方と、法人税率のこと、そして、ホワイトカラーエグゼプションだ。税金をたくさん取るのは別にいい。だけど、なんで得する人が出てくるんだろう、と。
サラリーマンじゃない人は得をする。所得税の最高税率はアップしないからだ。そして低所得者には再配分されるからだ。そのうえで株主利益は保護される。株主の利益をなぜ保護する必要があるのかイマイチよくわからない。確かに自分はサラリーマンだから、株主さんが利益を出してくれないと、会社が困る。でも株主さんに配当を出そうとするために、利益を出してもサラリーマンは給料がアップしない。面白いことに、株主さんに配当が出せないと、株価が下がるからってんで、給料はダウンする。まったくもって意味がわからない。法人税率は変わらない。そのうえ、残業代はカットされる。結局サラリーマンにしわ寄せが来る。これはマルクスが危惧した社会だ。
たしかに、生活は日々進化しているし、便利だ。生活が苦しいというのも他人と比較しての問題で、昔と比べたら別に変わっていない。だから別にそれでもいいけど、なんでわざわざ中世に戻るのか。結局のところ、王族と、貴族と、地主と、農奴だよなあ。サラリーマンは裕福な農奴だから、別にこれ税金をこれ以上取られても問題は無いと思うが、社会問題がどんどん起こるのはなぜかということを政府の人々は理解ができないらしい。少子化に対しての対策はゆるい。昔の人たちは、働く人が増えれば収入が増えるからってんで、人口を増やした。でも今の人はそうでもない。働いても金が入らないから、フリーターなり、ニートになる。その辺の人間を無理やり働かせたらどうか?そして、働いた時間に収入が比例すれば、税金も増えるのにね。法人税率は下げて、労働基準監督署がめちゃくちゃ厳しく取り締まったら、きっと給料は上がるだろう。そうすれば、サラリーマン増税でも良いのだ。今のままなら、法人税率が低くて喜ぶだけの会社が出る。今の水準を維持するなら、取り締まらなくてどうするんだ。取り締まれば法人税率を下げてもいい。でも基本的に優遇されるのは貴族なのだ。犯罪にしても、対策がゆるい。万引きしたら罰金100万とか、それぐらいのことすればいい。いじめたら禁固1年とかそれぐらいすればいい。金がほしけりゃ働けよ!って言えばいいんだ。でも現代人は働けない。働かれると、会社が持たないのだ。そんなんでいいのか?働いたら金が手に入れば、税金は取ってかまわない。働いても金が入らないから税金がつらいのだ。ゴネる人間が得をするのだ。犯罪する人間が得をするのだ。そんなんでもいいのか?
まあ、そんなんでもいいのだ。職業選択の自由なんか無いけど、別にいい。食っていけりゃいい。暮らしていけりゃいい。さあ、がんばろ。周りの人間が笑ってくれりゃそれでいいよ。頑張るぜ!!
誰がなんと言おうと、なにがあろうと、自分の人生だ。自分の幸せを決めるのは自分自身だ。結構幸せです。
2007年11月19日 変えられる世界
平和ボケから冷めた山中です、こんにちは。そうだった、歩くより走ったほうが速いんだ。
仕事をしていても、友達と遊んでいても、満足できないことがたくさんあって、でもじっとしていても仕方が無いから、とにかく動いて考えることが大事だなあ、と思います。考えるということは、動くことと一緒に行われていたほうが効率が良い。仕事も現場にいたほうが考えが働く。下手の考え休むに似たりというけれど、休むぐらいだったら動いて考えたほうがいいよな、というのは昔から僕が考えていることで、考えること自体がきっと好きなんだろうなあ、と思います。体系的に考えること、ミクロに考えること、適当にサボること、そしてそのバランスをとること。
体系的に考えることはつまり、帰納的に考えることだと思います。ここはこうなる、ここはこうなる、だから、こうならなければならない。社会において帰納的に考えることというのは、科学的に考えることとイコールにならない。ある程度の理不尽を飲んだうえで、多角に現象を分析し、結論を出す。結論を出した結果、それを仕組みに変えていくことが、建設的な仕事というものだろう。マクロ経済学が経済政策を論じるものに近いと思っていい。のようなものと思っていい。無駄なものを省く。少なくする、あるいは無くす。それを仕組み化する。それが体系的に考えること。ミクロに考えることというのは、ひとつの現象を分析し、それに対して仮説を立て、検証するということ。つまり科学的に考えるということに近い。どちらかというと演繹的な考え方だろう。ミクロ経済学が経済現象を語るのに近いと考えてよい。適当にサボることというのはつまり、優先順位をはっきりさせるということ。15分かかる仕事を5分で終わらせて、大怪我しない能力。考えなければできないが、考える癖をつけて短絡的に考えても大丈夫なところまで持っていく。考え方の瞬発力をつけるということだ。炊飯器の早炊き、洗濯機のスピード洗いに似ている。最低これだけやっておけばよい、ということをはっきりさせるだけ。それも、考えることのひとつだろう。。最低限の状況分析能力といっても良い。そしてそのバランスをとること。サボりすぎてもいけないし、根つめてやればいいというものでもない。理屈だけではいけないし、人情だけでもいけない。バランスをとることはある程度センスだ。センスは磨かないと身につかない。考えて身につくものでもないが、磨く努力をしたい。
考えれば世界は変わると思っている。変えられると思っている。状況は変えられないかもしれないが、捉えかたが変わる。考えのベースにあるのは僕の人生観だろう。なるようにしかならないのだが、それならそれで笑ってやる。笑えるように変えてやる。そういう考えだ。別に、全部うまくいく世界なんて、最初から望んでない。うまくいくだけなら、人生なんか物理現象だ。そうじゃねえから、面白い。面白いように変えてやる。
そんなに甘くないのはわかっている。自分が甘いのもわかっている。だから闘う。闘ったからといって状況が変わるわけでもないのもわかっている。だけど闘う。悪い状況を良いと思うように変えればいい。ただそれだけのこと。もっと悪い状況に身をおけば、自分が変わるから。いつも笑っていれば、世界は変えられなくても、自分の目で見える世界は違って見えるだろう。どーせ死ぬまで生きるんだから、馬鹿だろうと何だろうと笑ってやるよ。へへーんだ!
2007年11月17日 水のみダイエット
連休明け、ダイエット開始のヤマナカです、こんにちは。競馬に行ったりなんちゃかんちゃしていたら、体重は増え続け、いまや73キロ。
4月には70キロだった体重が、諸事情あって5月に64キロに落ち、また7月に68キロになってから8月に62キロまで落ちて、また70キロに戻って65まで落として、ここ最近のイレギュラー稼動で見事増量73キロ。やばいってんで、ダイエット。いつも無理して風邪を引くので、今回からはメシは無理せずにとって、とにかく水を飲むことにしました。
朝にコップ3杯(タンブラーのでかいやつね)およそ1リットル。で職場でコーヒー飲んで、コーヒー飲んで、ペットボトル三本のお茶を飲んで、家に帰ってコップ2杯。メシ食って、風呂はいる前にコップ1杯。風呂の中でビタミンウォーター飲んで、出てからコップ1杯。
これだけ飲んだから、さすがに体重は減るまいなあ、と思って明日からに期待しようとしていたら、今日もう1キロ減りました。とりあえず目標は1週間で5キロ。
68キロまでとりあえず落とし、年末を乗り越えてからまた64ぐらいまで落とそうと思います。
金かかんなくていいやね。
2007年11月16日 紅葉がきれいで、雪が怖くて
ドライブ好き家系のヤマナカです、こんにちは。山中家はドライブ好き。子供のころから親父や兄貴にいろんなところに連れて行ってもらって、僕もドライブするのが当たり前ぐらいの勢いでドライブ好き。母親もドライブ好きだが、親父も兄貴もいないので母親の慰安旅行。昨年上半期は福井へ、下半期は中部国際空港。今年の上半期は富士山周り一周、で、今回は信州松本から高山を通ってくるルート。最初は富山に行く予定だったけど、なんとなく、紅葉をみに信濃路へ。
中津川で栗きんとんを買って、松本。紅葉がきれいで、母親も大満足。そのまま安曇野を抜け、梓川脇の村の駅なるところで蒸し物料理を堪能し、上高地方面。長野と岐阜の県境(安房峠)は雪が積もっていて、気温は11月なのに1度!えれえ怖かったですが、無事に通り抜け、平湯温泉の脇を通って高山。せせらぎ街道を抜けて郡上。高速道路で関に戻る。
あっという間に行って帰ってきて、450キロ。ちょっとつかれたけど、無事でよかったなあ…。
2007年11月15日 忘年会だぜ!
酒を飲まない山中です、こんにちは。まあ、今年もご他聞にもれずいろいろありましたが、まあ、いい年だったということにして忘年会。はっきり言っていい年でもなかったが、そんなこといったらいい年なんてきっとないだろうということで忘年会。結局、いい年だったわけではないから、年を忘れていい年に変えてしまえってんで忘年会。11月から早くも、忘年会。メンツは関市在住のさえない三人と、もっとさえない津島市在住の私。関市の数少ない飲み屋で、いろいろ頼んで忘年会。中日ドラゴンズのこととか、競馬のこととか、なんだかんだでそれなりに盛り上がっていい感じ。やっぱ友達はいいなあ…。
ビール飲んでウーロン茶飲んでスシ食って豚キムチ食って、串物食ってそれなりにおなかいっぱいになったが、なんとなく二次会。1リットルもあるパフェなんか食べちゃって。そのあとイオンなんか行ったりしちゃって。
なれない事もたまにはするもので、それなりに満足。新年会もしよっと。
平成19年11月13日(夜版) イマイチ。
たるみ始めた山中です、こんにちは。頑張らないといけないけど、ちょっとだけ、たるみがち。だから風邪もひいてしまうわけだ…。何かを犠牲にするということを恐れている。結果、全てを犠牲にしてしまいかねない。これは危険だ。いわゆる「平和ボケ」なんだろう。
もちろん、仕事もそれなりにやっているし、手を抜いているということはない。しかし「それ以上」がない。工夫がない。きっとそういうことなのだ。向上心が薄れている。そういうことなんだろう。やりたいことはあるんだけど、なかなか「冬の陣」とはいかない。
いいわけは進歩の敵、とあえて前置きした上で、言い訳をしてみる。いいわけは二点だ。「モチベーションが上がらない。」⇒つまり、動機付けされるその「動機」がない。頑張る理由がない。周りに好きな人がいるわけでもないし、仕事が直接お金に結びつくわけでもない。自然、楽なほうへ流れる(当然のことだ。)「疲れている。」⇒仕事、研修など、日常が襲い掛かってきて余裕がない。たまの休日も予定を入れていたのでは、何かを始めるきっかけもつかめない。おまけに体調もよろしくない。一度リフレッシュするべきだ。
と言い訳してみると、すなわち、自分がやっていないというのもうなずける気がしてきた。しかし、ここからだ。僕は木曜、金曜と連休だ。ここでリフレッシュできる。モチベーションは高くないが、僕は今までもそういう状態から立ち直ってきた。リフレッシュすることができれば、モチベーションは上がるはずだ。
こうして、退路を断つ。連休明けは頑張らなければならない、と自分に言い聞かせる。
さあ、もう一度扉を開こう。イマイチな現状を打破しよう。「OPEN THE GATE!」もう一度、立ち上がらなきゃ。
2007年11月13日 ヤマナカ冬の陣。
ペリカン!山中です、こんにちは。ええ、特に意味はありません。
やりたいことは山ほどあって、やりたいこともみえているのに、時間が無いから中途半端になってしまう。中途半端になってしまうのがイヤだから、なんとなくやめてしまう、なんてのはよくある話で、僕のホームページがそうだったり、仕事に関してもそういうことは良くあります。根底にはやはり面倒くさいというのがどこかにある。それはやりたいことが途中で面倒くさいというものではなく、時間を作るのが面倒くさい、ということなわけで、それがいけないわけです。
時間を作るためには、必ず何かを犠牲にしなければならない。睡眠時間であったり、遊ぶ時間であったり、あるいは別の仕事をする時間であったり、誰かの不満であったり、そういう何かを犠牲にする必要がある。で、犠牲にするというのはやはりエネルギーがいるもので、それを上回る情熱を持たなければ、創作意欲はわかないわけです。たとえば、僕が落ち込んだときに物を書いていたエネルギーというのは、きっとそれを上回る情熱(この場合は激情)があったわけで、そうでなければ物を作るということはできなかった。では、情熱であったり、激情であったり、時によっては反骨精神であったりする、犠牲にする消費エネルギーを上回るエネルギーものというのはどうすれば養えるのか、ということについて考えた。まず、どうすればそれができるのかを考えてみる。
ひとつは、後ろを大河にする「背水の陣」、即ち退路を断って前進あるのみと言い聞かせる。つまり自分を追い込むこと。あるいは一点集中でそれを行う「魚鱗の陣」、即ちそれさえやればよいと割り切ること。つまり他の何かをあきらめること。あるいは全てにおいてそれにつなげていくことで成し遂げる「鶴翼の陣」即ち何かをやっているときに平行してそれを行っていくこと。即ち、他の何かを片手間にすること。あるいは各方面に力を注いで、余った時間をそれに投入する「方円の陣」。即ちあきらめないで少しづつやっていくこと。
では、その可能性を見る。背水の陣は基本的に他に方法が無く、士気を奮い立たせざるを得ないときに用いる。あるいは満ち足りているときにこの陣形を取るのは、「なんでわざわざ追い込まれたところに構えなあかんのや!」とかえってやる気をなくしてしまう。魚燐の陣は、陣形としては▲の形をとり、後ろが山など、後方の心配が無いときに取る陣形。前方にはめっぽう強く、消耗戦などにも強いが、後方からの奇襲などの不測の事態に弱い。魚燐の陣に似た偃月の陣、(陣形は∧)この場合は前方に強く、後方にも強いが一度敗れると歯止めが利かない。即ち、一転集中型というのは、何かしらのリスクを伴うので、後ろ盾がほしい。鶴翼の陣(陣形はV)は自群が大群のときは隙が無く、不測の事態にも対応が聞くが、五分の状況、あるいはこちらの方が少ないときはわざわざ敵を招き入れる危ない陣形。余裕と自信が無ければとることが出来ない。方円の陣は基本的に防御の陣形(陣形は◎)。不測の事態にも対応が聞くが、攻めに弱く、結局目的を成し遂げるに向かない。
即ち、方法論によって養う方法は分かれる。自分が追い込まれなければならない背水の陣をとるには、まず自分が状況に追い込れるまで踏み込むこと。たとえば、できるかどうかわからないことを「出来ます!」と豪語してしまうなど。これはきつい。自分が弱ければ耐えられない。退路を断っているから危険でもある。一点集中の魚燐の陣を取るには、後方の心配を無くすことで突き進める。ある程度の支援や、時間を得てしまったら、一気にそれを成し遂げてしまう。これは時間がある前提になるので、結局のところ、時間待ちになってしまう(時間が無ければ、イレギュラーにぶつかりかえって失敗する。)だから、時間待ち。仕事で言えば、十分な人数がいるときに、全員で持ってやってしまうことだ。鶴翼の陣は何かを片手間にするわけだから、他を任せる補佐が必要。長期戦に強いが、基本的に大群で無いとたちどころに崩れるので、よほど重厚な計画性を要する。方円の陣は防御の陣形。周りをとにかく片付け、そのあと陣形を変えるのが得策。忙しければこれでいっても良いが、いかんせん、長期戦には弱い。
やりたいことを成し遂げるには、やはり何かを犠牲にしなければならない。結局のところ、どれぐらいの敵なのかをみて、柔軟に使い分けていかないといけない。僕が今取るべき陣形は何か?やはり魚燐の陣ではないか。場合によっては自分が先頭に立つ偃月の陣ではないか。いや、そんな簡単なものではない。時間があれば鶴翼の陣だ。が、時間なんてない。方円の陣をとっている余裕も無い。
うーん。見えそうで見えない。しかし待っていれば背水の陣。さあ、どうする、どうするよオレ?
2007年11月12日 空気が読めない
流されない男山中です、こんにちは。リト熊さんと競馬に行ってきました。競馬に行って、そこそこに負けて、肉なんかを食べたんですが、熊さん的にはなんか疲れた感じで、申し訳ないなあ、と思いながら家に着く。
もう30歳なので、あんまり全力で遊ぶというのも難しいのかもしれないと思いながら、まだまだ僕は若いのかなあ、とか思いながら、家でゆっくりする。そういえば6連勤、休日に勉強して4連勤、明けて休日に競馬に行くというのもどうなのかと思いますが、前日休みだった熊さんはパチンコ行って、徹マンして競馬。そっちのほうがえらいや。やっぱり誘わなければ良かったなあ…。まだまだ、空気が読めないなあ、オレ。
自分と同じ価値観を相手に求めるというのは、至極自分勝手なことだと思うが、それを求めてしまうのは、結局今までの環境が僕にとって甘かったのだろう、と思い、じゃあ、どうすればよかったのか、ということを考えるに、他人に合わせるというのもへんな話なので、結局はどちらかが、どちらかに妥協することしかないわけなのですが、その妥結点というのを、自分勝手にしか導き出せないのが、若さなのかなあ、と思う。悪い意味で、まだ若いなあ。
楽しい休日を過ごすためには、もっと計画しなきゃいけない。自分の価値観を相手に求めないためにも、自分と相手が納得できるプランを立てなくちゃ。もっと考える。もっと工夫する。
まだまだ青い。まだまだ、ちっちゃいなあ…。
2007年11月11日 薄っぺらい
薄っぺらい男山中です、こんにちは。心にも無いことを口にするとか、何も考えてない、とかそういうわけじゃないので、何も無い男ではないと思いますが、引き出しがたくさんあるけどちっちゃくて、途中で投げ出してしまうことが多いので、どう考えても薄っぺらい。軽薄という言葉がぴったりですが、重厚な人間になりたいとも思わないので、それでもいいのかなあ、と。言う事に重みがない。説得力がない。なぜだろう?
薄っぺらい人間といえば、やはり人生経験が無く、含蓄がない、言う事に重みが無い、などというのが連想されると思いますが、実際に口先だけで行動が伴っているわけでもないので、そうかもしれない。でも、人生経験はまあ、人並みの30歳ぐらいだと思うので、考えられた薄さというか、軽さなわけで、いい言い方をすればポップでライトな感じなわけですよ。重厚な人間というのはヘビーでクラッシックな感じだと思うので。
でも、あんまり明るいほうでもねえよなあ、オレ。
なんて、いろいろ考えながら今日も日が暮れる。
2007年11月9日 つっかれたあ…。
あー疲れた、山中です、こんにちは。6連勤、明けて4連勤の3日目で研修です。研修自体疲れるものなんですが、6連勤の終わりが朝から夜までのぶっ通し稼動、休みは研修用の勉強で、そのあと朝から夜までの通しの稼動が連発。はっきり言って、寝る間もなかったわけですが、そんなのは言い訳なので…。うまくこといかねえなあ。
というわけでおつかれでーっす。
2007年11月1日 ドラゴンズ日本一おめでとう!
私は胴上げ投手が岩瀬でよかったと思いますよ!山中です、こんにちは。山井の記録は惜しかったですけど、日本一の原動力の岩瀬より、山井が記録でも記憶にも残ってしまうのはなんだか切ない気もしますですよ。もちろん、山井に達成してほしかったとも思いますけどね。うん。
そんなことより、僕はドラゴンズファンのクセに日本ハムが4勝1敗で日本一になると思っていた不届きものですが(笑)、それにしてもCSから強かった!経験は人を成長させるんですねえ。本当に強くなったと思います。おめでとう、ありがとうドラゴンズ!
明日の中日スポーツはコンビニに行ったら残ってるかなあ?