監督・コーチ

77 星野仙一

 ご存知燃える男。ドラゴンズ監督。倉敷商-明治大-中日。53歳。

 ドーム野球を掲げて99年ドラゴンズを優勝に導いた指揮官で、各コーチの指導力を生かし、自らははっぱをかける役に専念したのが奏功した。短気で知られているが、実績、あるいはネームバリューのある選手を我慢して使いつづけることが多く、自らは「我慢強い」と称している。そのおかげで実力を開花させた選手は数おおい。中村、山崎のほか、最近では福留孝介がそうだろう。ただ、そのおかげで地味な、いぶし銀の可能性を持った若手が出場する機会を失っているといえないこともない。基本的に大型選手好き。

 中日の超豪華コーチ陣を形成させた立役者でもあり、現在の中日の戦力をほぼ自分で作り上げているといって良く、その功績は評価されるべきだが、今年あたり、そろそろドーム野球とは何かというのを見失いつつあるように思う。守備力で一点を守る野球から、打撃力重視から後半守って逃げ切る「先行逃げ切り」型野球に切り替えているようだが、先行するためには必ずしも打撃力が中心になりうるとも限らないので、そのあたり、もう一度気が付くことができるか。ハッパをかけつづけて欲しい。嫌がらせ戦術は意外とやらないほうで、また相手の奇策にも結構かかりやすいところがある。

78 島野育夫

 中日ドラゴンズ武闘派コーチ筆頭。ヘッドコーチ。作新学院-中日-南海-阪神-中日-阪神-中日。56歳。

 名参謀といわれることがあるが実際はどうなのかイマイチわからないコーチ。ヘッドコーチながら、実際はノックばかりやっているのではないかと勘ぐってしまう。新聞などではよく嘆いている姿を目にするのでハッパかけ役だろう。

 いろんな意味で攻撃力が抜群で、恐れられているが、現役時代は意外と守備の人だったらしく、ゴールデングラブ賞を三度受賞している。鬼のようなノックを期待。

71 水谷実雄

 武闘派、打撃コーチチーフ。宮崎商-広島-阪急−広島-近鉄-ダイエー-中日。53歳。

 選手を諭してとにかく振らせる。四の五言わずに振らせる。そういう単純かつ基本的な指導をする名コーチで、現役時代から練習の鬼だった。コーチとしても球暦は華麗で、小久保など目立たないスラッガーを必ず怪我持ちに変えてしまいながらも大成させてしまう荒業。広島-近鉄-ダイエーを次々に打のチームに変えていった手腕はほかに類を見ない。

 とにかく振らせる指導というのは、簡単なように聞こえるが、選手のモチベーションを維持しながら練習させることというのは極めて難しい。そういう人がコーチにきた以上、中日の戦力は確実に底上げされていくだろう。ただし、中日のようにトレードを頻繁に行うチームには向かないかもしれない。

95 山田和利

 打撃コーチ。東邦-中日-広島-中日。35歳。

 現役時代は強肩強打の内野手として入団したが、芽が出ないままポジションを転々、そのうち一軍で使われなくなって、そのまま広島に移籍するという、今も昔も変わらない中日の育成方針の餌食になった。遺跡先の広島で、どの打順もこなせる、どの守備位置もこなせるというユーティリティープレイヤーとなって頭角をあらわし、しぶとさと意外性を持ち合わせた選手として中日に帰ってくると、そのまま怪我して現役を終え、打撃コーチになった。ある意味中日の申し子であり、映し鏡だ。

 地元出身ということもあるが、何より練習熱心だったところがコーチとして買われたらしく、水谷コーチの補佐役、選手のよき兄貴分となって指導をしている。打撃の基本はボールをよく見て思い切り振るということで、理論家はかえって選手の個性を殺し、大成を妨げるところがあるので、このコーチ起用は大正解といって良いだろう。今年がコーチ二年目。 

75 山田久志

 日本野球史上最高のサブマリン。投手コーチチーフ。能代-富士鉄釜石-阪急(オリックス)−中日。

 選手ごとに指導を返るという天才的投手コーチ宮田征則氏(現巨人)の退団に伴い、星野監督が熱烈に要請した名投手コーチ。投手のコンディショニング、指導、起用の全てに長け、すでに実績も球界トップクラスといってよい。選手育成というよりも、投手が現在持っている力を試合で生かすことに巧み。やりくり上手という言い方がふさわしい。

 アンダースローながら、スピード、緩急、スタミナ、コントロール、変化球、そしてウイニングショットのシンカーと、投手として必要な要素を全てもち、ほぼ全てのタイトルを総なめにした実績がある「生まれながらの下手投げ」で、送球も全て下手だった。自らがそんな個性派であったが故に、その指導もその投手の長所を生かしていくいくのが巧い様である。

 どうでもいいことだが、個人的に大ファンだった。

89 高橋三千丈

 投手コーチ。名より実の男。静岡商工高-明治大-中日。

 中日ドラゴンズ明大閥の生き残りで、現役時代はゴロナシ試合を達成するという怪記録のほかは特に実績もなかったが、なぜか投手コーチに就任すると、目覚しい実績をあげている。どうやら相当コーチとしての才能がある人らしい。ブルペン担当だが、第一次星野政権時代にも水谷啓昭コーチとともに、見事な投手陣を作り上げていた実績があるだけに、防御率向上請負人のような匂いがする。

 きっと相当な理論家なんだろう、と思っていたが、投手コーチに再任する前に一時期中京テレビの解説者をやっていたことがあり、それを見ると、ものすごく歯切れの悪い解説をしていたので、ただの教え上手ということらしい。コーチにはそういったモチベーションを殺さない能力が必要不可欠なんだろうなあ、と彼を見るたびに思う。

 どうでもいいことだが、個人的にファンである。

86 高代延博

 内野守備走塁コーチ。智弁学園-法大-東芝−日本ハム-広島-中日

 選手としても一流だったが内野守備走塁コーチとしてすさまじい功績を上げている。法大閥(山本浩二辞任に伴い現在消滅)の線で広島の首脳陣入りし、もともと良く練習した広島の守備陣を整備。ここまでは良くいる優秀な守備コーチだったが、走塁面で「全員走るチームを完成させる」というとてつもない成果をあげている。星野監督が動いてヘッドハンティングし、現在は福留孝介を一生懸命育てているため守備コーチの印象が強いが、やはり走塁コーチとして評価されるべき人だろう。

 自らが小兵でもあるせいか、走塁技術、気構えの指導が巧いようで、到底走らないような選手まで走らせてしまうのだからおそろしい。対して足が速くない選手でも、足が速いという変なデマが流れるほどに走塁の巧い選手に変えてしまうのがすごいところだ。ベースコーチとしても球界屈指の判断力を持つ。

74 二宮至  

 外野守備走塁コーチ。広島商ー駒大ー巨人ー中日

 まともな実績を残さず球界を去ったが、その指導力を買われて98年に中日コーチ。チームを走らない球団から、普通の球団へと格上げすると、99年に一軍走塁コーチの座を高代氏に譲り二軍で指導。そして今年また一軍昇格している。もともと外野守備走塁コーチとしての指導力は評価されていたが、昨年はベンチに仁村兄を呼びたかった星野監督の意向から二軍で指導をという風になったようなフシがある。

 中日の外野守備はかなり整備されるべき状況にある。どこまでその手腕で向上させられるか注目される。

 また走塁コーチとして、高代コーチと組むのも見逃せない。今年は昨年より走力はダウンしているが、スチール、走塁はどう変わっていくだろうか?個人的には選手の入れ替わる後半はともかく、ある程度選手が固定されている前半はかなり厳しい様にも思えるのだが。

72 加藤安雄

 バッテリーコーチ。倉敷商−明治大−熊谷組-阪急−中日-阪神-中日。

 明大閥の線で第一次星野政権にバッテリーコーチ入り。その後何故か阪神へ行き、また中日に戻ってきて、しばらく首脳を離れてまた戻ってきている。中日コーチにはありがちなパターンだ。

 球界でこのポストというのはかなり軽視されているようだが、実際にバッテリーコーチというのがどんな仕事をしているのか、イマイチよくわからない。特に中日は格の高いブルペン捕手のように見えないでもない。キャッチャーを育てるのは何より経験と個人のモチベーションで、その辺を巧く扱えるかどうかだが、バッテリーコーチという仕事は、中日の場合はどちらかというと投手の指導のほうに重点があるようだ。

98 芹沢裕二

 バッテリーコーチ。大宮東-中日。

 中村より若いというバッテリーコーチ。ブルペン指導で、おそらくはブルペン捕手のボスとして君臨しているようだ。金田さん以来、中日のバッテリーコーチというのはこのタイプばかりだ。相当気持ちのいいキャッチングをするのだろう。

 確かなキャッチング技術はボールを生かす。調子を見るのには彼の存在は欠かせない。

91 早川和夫

 フィジカルコーチ。栃木商-国士舘大-三菱重工横浜-日本ハム-中日。

 オリジナルのバットを折りながら代打サヨナラヒットを打った情熱の男で、なんと独学でトレーニング部門を学びコーチとして中日に戻ってきている。ひげの村田さんが居なくなってますます重要な存在となってきた。個人的にファン。

 それにしても中日はトレーニング系のコーチが少なすぎる。早川さんの指導のもと、効果的に練習するのはいいことだが、それだけやって怪我などしたらつまらないし、一年間フル稼動して次の年から壊れるということもありがちだ。新しい理論を取り入れるべく、フィジカルコーチ、コンディショニングコーチ、トレーニングコーチを増やすなりなんなりしたらどうだろうか。

 ただし、中日の場合、トレーナーさんがかなり優秀であることを一応付け足しておく。時代を先取りしているのかどうか、というのは不明だが。 

88 仁村徹

 野球界では珍しい『帝王学』を学ぶ男。二軍監督。上尾-東洋大-中日-ロッテ−中日。

 現役時代は投手、三年目で野手転向して大成し、ターンステップスロー、流し打ちなど玄人好みの技を披露。数々のポジション争いを制し、その情熱を買われたところで、なんと指導者としての英才教育を遂げるべく、当時広岡氏がGMだったロッテへ移籍。中日に戻るとそのまま二軍監督となった。

 二軍監督としては星野監督と同じようにゲキが飛ぶタイプの様で、必ず保護者役のようなコーチ(福田氏・梶本氏)がついているところが面白い。ただ、やはり中日育ちということもあって、星野監督と同じようにポジションを定着させないといったらない。

 二軍監督としての起用方法は、びっくりするぐらい巧く、しかも何故か勝てるチームを作っている。ただ、起用が巧すぎて大型選手が育たない環境でもある様である。 

76 福田功

 二軍ヘッドコーチ。郡山(奈良)-中央大-中日

 二軍監督としてチームを優勝させ、総合コーチとして一軍を、作戦コーチとして戦略を、それぞれ確実に向上させる教え上手。コーチとしての実績はほかに類を見ない。たまたまなのか実力なのかわからないが、存在すると必ず好成績を上げるというとんでもない人。なんでも相当な理論家らしく、作戦コーチという聞きなれない役職についたりするのもその当たりが原因らしい。

 今回は仁村二軍監督の補佐役として二軍ベンチ入り。今年二軍が優勝したら彼のおかげと思っても良いかもしれない。

 個人的に大ファン。

84 石井昭男

 二軍打撃コーチ。東海大相模-東海大-中日

 成績自体はパッとしなかったが、すばらしい打撃技術をもっていた選手で、右の代打の切り札。一時期は四番も任され、また一試合二本塁打も記録している。またあわやサヨナラホームランという特大場外ファールを打っていたのが作者の印象に深い。引退してからは中日でコーチ、スカウトとして活躍している。打撃理論はすばらしいらしいので、厳しくいって欲しいものだ。

 個人的にファン。

87 仁村薫

 二軍打撃外野守備コーチ。川越商-早稲田大-巨人-中日−巨人-中日

 ご存知仁村のお兄さん。読売では外野の守備がためばかりやっていたが、中日では代打代走守備がため全てに登場し、サヨナラなどの劇的な場面に数多く絡んでいる。その後中日では明るさと前向きさを買われてコーチ入り、その後名古屋で解説者となるが、実家の米屋を継ぐために帰郷、そして読売のコーチとなると、また今度は中日の首脳入り、二軍総合コーチ、一軍外野守備走塁コーチなどを転々とし、やっと現在の地位に落ち着いた。

 打撃で成績を買われているとは思えず、いったいどんな打撃指導をしているのか気になるところだ。もともと歯切れの良い人なので、若手には好かれていることだろう。

81 池内豊

 二軍投手コーチ。志度商-南海-阪神-大洋-オリックス-中日。

 現役時代から中継ぎ投手として鳴らした人で、圧倒的な安定感を誇った。94年オリックスのコーチ入りするが、数多くの中継ぎ投手を育てるのに成功するという実績を持っている。当方としてはひじと方に負担のかからない投げ方をさせるのが得意なようで、手首より向こうを返して球種を読ませないといったテクニックも伝授している様である。

 不思議なのは中継ぎ投手級が次々と一人立ちしていくのに対し、本格派と呼ばれるタイプの選手がまったく育たないというか、球種を殺してしまうようなところがある点だ。ぜひ投手の特徴を生かした指導をしてほしいものだ。スライダー投手ばかりでは一発が多くなってしまう。

 個人的にファン。

82 水谷啓昭

 二軍投手コーチ。東邦-駒沢大-新日鉄名古屋-中日。

 アイデアマンで知られる。第一次星野政権時代に高橋三千丈コーチとともに山本、今中らからなる投手王国を作り上げた人で、とくに左腕の育成には定評がある。自身も左投げだった。はっきりした実績を持っているのにもかかわらず、二軍でコーチングをしているのがドラゴンズコーチ陣の層の厚さを物語る。

 手腕としてはさまざまな練習を取り入れ、投手ごとにあわせた指導をしていくのが特徴で、池内コーチとのミックスが巧くいけば、そりゃもうすばらしく層の熱い投手陣ができることだろう。 

80 福原峰雄

 二軍内野守備走塁コーチ。修徳-法政大-日本通運-オリックス

 バリバリの野球エリートコースから、たたき上げてコーチとなった人で、現役時代から激しい打撃で知られた。二軍守備コーチとしては破格の待遇を受け、ノックにノックを重ねる。

 ここのところ多い他球団からのコーチ招聘だが、ここ数年、梶本、山田、池内、福原とオリックスのコーチを根こそぎ持っていきそうな勢いで(梶本氏は今年退団)獲得しているのはいったい何故だろう。

83 金田進

 二軍バッテリーコーチ。近大付-丸善石油−中日。

 中日のバッテリーコーチの典型中の典型で、二軍の正捕手争いになじんで投手の球を受けまくっているうちに、打撃がだめだからとブルペン捕手に転向、そのままバッテリーコーチとなる、というパターンで、金田氏は一軍バッテリーコーチからブルペン捕手に二軍チーフコーチなど、おそろしいほどの役職を歴任している。すでにベテランコーチだが、年齢はというと若い(40歳)。

 金田コーチは自分の経験から、常にブルペン捕手ばかり指導しているように見えて仕方ないのだが、逆の言い方をすると中日の投手陣が妙にブルペンでいい球を投げるのも全て金田コーチのおかげなのかもしれない。

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