日本野球とベースボール

 

「野球とベースボールは違う」

とは稀にいわれることである。

 スポーツとして、野球とベースボールとは同じスポーツである。当然野球を英訳するとベースボールだし、ベースボールは邦訳すると野球である。ルールももちろん同じ。ではなぜ「野球とベースボールは違う」という、いまいち良くわからないことがいわれるのか。

 

 日本の野球というのは、国民の感情として「国技だ」とか良くわからないことを言われてみたりとか、「テレビを邪魔するもの」とかそういうひどい扱いを受けて見たりとか、多分にに単純にプロスポーツと見られないような、特別なものであったりする。これがアメリカだと、プロスポーツの一つとして別に特別なものとしては見られないし、多チャンネルなので別にさほど嫌がられるものでもない。

 日本では野球する人が減るたびに騒ぐし、また、スポーツのひとつなんだからいちいち高校野球とかテレビでやらなくても良いとか言われたりするのだが、根本的に他のスポーツと比較して野球だけがどうのとかそういう事を言うのは、「売れる(人気がある)所にお金が集まる」という資本主義的には現実として正しいことだが、全てにおいて平等であるべきである、という社会主義的にはどうにもゆるせないことで、こういう事をただのスポーツとして議論するのに非常に難儀な上、思い切り横道にそれやすい。

 スポーツひとつ取り上げてイデオロギー云々が言われるのはある意味尋常ではないのだが、このへん野球とベースボールがどう違うのか、という点とは実はあまり関係が無いので触れない。たとえ日本野球がベースボールと呼ばれるものとして固定したとしても、ジャパニーズベースボールとアメリカンベースボールという風に呼び方を変えて議論されるだけのものであって、呼び方云々や、受け入れられかた云々というのはあんまり取り上げる意味が無い。

  

 

 ではスポーツとして野球とベースボールの相違点はあるのか、ということだが、結論から先に言うと、あるのである。南米のサッカーと、ヨーロッパのサッカーのようにスタイルが違っているだけで、あとはボールとかルールとか同じ、というようなおおらかのものではなく、ボールという使うものそのものが違っていたりするが、この程度の違いというのはたいしたものではなく、ボールがちょっと違う、というぐらいのもので、後は審判のクセが違うとか、サッカーでもありがちな違いでしかないので、スポーツとしては実はあまり違いが無いといって良い。だから日本野球に大リーガーが来て活躍するし、日本の選手がアメリカに行って活躍できたりする道理がなりたつわけである。

 じゃあ何が違うのか、というとこれがまた難儀な話で、文化として違ってきているのだ。日本の野球というのは、実際硬式ボールがアメリカのボールと比べて若干縫い目が浅くボールに弾力が有るという点も含めて、軟式文化なのだ。実際に硬式ボールを握った人というのは、野球部員でない人の中ではかなり限られてくるのが日本である。このボールを知らない人が、

「ぶつかってこいでも塁に出ろ」

とかいうが、とんでもない話で、これ、当たるとたかが打撃練習の時ぶつかっただけでも普通の人なら三日ぐらい痛みが残ったりするほどのひどく堅いものである上に、一般に知られている軟式ボールと重さが全然違うので、めちゃくちゃ怪我しやすい。

 ちなみにプロ野球選手のサインボールなどを本物の硬式球だと思っている人がいるが、あれも硬式ではあるが公式には違っていて、ひどく軽く、また密度が少ない分だけ柔らかい。あれの6倍危険なものと思ってもらって良い。

 だからアメリカでは高校、大学まではあくまで一つのスポーツであり、人生に打ち込むほどはやらない。「非常に危険な大人のスポーツ」である。が、いったい何がどうなってそうなったのか知らないが、日本ではこれを子供のうちからガンガンやらせている。だから、根本的に日本野球というのは軟式のような認識のされ方をされたまま、そのスポーツひとつがすごく身近で、その他の選択肢の無いスポーツとして根づいてしまった。ゆえに高校野球と言うとんでもない危険な一つのジャンルすら出来てしまっている。もう一つ付け足せば関西地方では盛んな硬式の少年野球だが、田舎ではこれでもかというほど軟式が根付いているため、野球の地域間格差が生まれる原因にもなっている。このあたりは徐々に解消されてきているので、あまり触れないが。

 

 

 だからアメリカの選手は野球とバスケを掛け持ちしていたとか言う話も良く聞く話だが、日本の場合は何故か子供の頃から野球をやっていないとついていけないものとなっている。そして、実際に子供の頃からやっていないと全くついていけないような、そういう野球文化になってしまった。

 簡単に書くと、アメリカでは野球は危険なものとして認識されているが、日本では、どちらかというと「危険思想的なもの」として認識されていることはあっても、危険なスポーツとしてはあまり認識されていない。

 だからというわけでもないだろうが、日本の審判はストライクゾーンをベース真上に取り、アメリカの審判は捕手と打者の中間に立って見るために若干外角よりに取る。おなじく、アメリカの審判はたとえわざと当たりに行ったデットボールでも、その危険度を認知しているために、そんなところに投げた投手が悪いということになって、デットボールが宣告されるが、日本ではむしろ、当てるぐらいの気持ちでいけ、という実に恐ろしい法則に従って、むしろブラッシュボール(当てにいった球)が奨励され、自分から当たりにいく選手は後ろめたいからかほとんどいない。どうかすると高校野球では、避けなかったらデットボールにならないということすらある。実際目の前にボールがきたら体が固まって動けなくなるものだが、避けなかったらボールなのだ。どれだけこのボールが危険なのか、審判ですらわかっていないのだろうか。(プロだとさすがに元プロ選手が審判をやっていたりしてボールに関しては若干厳しい。)

 

 

 軟式文化のある日本では、内角攻めが当然の文化になり、あまり危険度は論議されないでいるが、そうなると当然投手は内角攻めをしなければ大成しない、ということとなってしまう。たったこれだけの違いで、打撃技術論が日米で正反対になってしまうこと、というのはあまり知られていない。

 たとえばアメリカでは外角の球は踏み込み、ボールに負けないために強いフォームで思い切り叩く、ということになっているために、外角のボールを思い切り引っ張り、内角のボールは、その重さに負けないようにするために体を押さえ、バットでボールの内側を叩いて強い球を飛ばす、つまりからだの反対側に弾き飛ばす、という理論になっている。右打者で言えば内角の球を右方向へ、外角の球を左方向に持っていくのが強い球を打つのに理想とされている。したがって、外角のボールを思い切り引っ張るためにボールにスピンを与えるのはアッパースイングであり、内角のボールを外側にさばくために打つのがパンチショットで、これもむしろ重心が後ろにあった方が良いことになる。つまり、全般的に体がしずんだ感じになっている。

 対して日本は、野球やった人全てがいわれているはずだ。

「内角の球は腕をたたんで引っ張り、外角の球はおっつけて流し打ちする」

 そのためほとんどの選手の腰が高く、四球にも、外のボールダマにも対応できるようになっている。

 ここまで野球理論が違ってしまうと野球とベースボールは違うものといわざるを得ないだろう。従って、日本野球で成功する外国人選手はインコースだろうがアウトコースだろうが全部引っ張りきる問答無用のプルヒッターである場合か、あるいは柔軟な身のこなしで、来た球を打つスプレーヒッターのどちらかで、インコースでもアウトコースでも強い球を打ってスタンドインさせる、といういってみれば折り紙付きの超大物大リーガーは逆に失敗することが多い。

 

 もちろん打撃理論がここまで違うともちろん投球理論が天と地である。高校野球の場合、インコースのストレートをストライクに投げるのは大タブーだ。金属バットに当たったら最後、そのまま豪快にスタンドインされる。ストレートは相手の体を起すために胸元、腰をひかせるために膝元に外したり、あるいは入ってくれればもうけものの所に投げる。もともとインコースのストレートはよほど球威に自信が無い限りは投げない。

 プロ野球ではその反動が来る。インコースが有効と見るやガンガンインコースに投げてくる。そのうえ、高校時代に培った相手にぶつけるぐらいのところに(当たらない自信があるからこそ)投げる、言ってみれば異常なコントロールと、薄れた危機意識に裏付けされた「度胸」の良いピッチングで胸元にビシビシと外して相手の体を起す。ここまでくると頭脳的なピッチングというのはある程度体の近くに投げることと、外に外してボール球で勝負するという事を前提としたピッチングとなり、相手打者もそれにつられて勝負ダマである外の変化球を待つために、「外にズバっとストレート」が通用する世界となる。

 大リーグではこんな物は通用しない。外にズバっとストレートなどというのはカウントがカウントなら当たり前である。このボールを見逃し三振するような馬鹿はいないといって良い。内にズバっとストレート、が逆に通用する世界なのだ。そして体を起す、という意識は最初から無い。うまいことカウントを数え、2ストライクから外角低目、ここで「自慢のストレートで真っ向勝負」になるのがメジャーリーグ、「意表を突いて外角低目ストレート」なのが日本野球だ。だいたいほとんどの投手がウイニングショットが変化球である。ストレートがウイニングショットであるような投手というのは日本では数えるほどしかいない。

 

 

 別の視点から見てみよう。現役バリバリの大リーガーという選手は日本でもそれなりに活躍するが、ほとんど短命で帰ってしまう。おっそろしく危険なボールがストライクといわれる上に、そこにガンガン投げて来るのだから、ストレスは溜まって当たり前で、それでもあまり成績を残せないとなると無理に努力するのは無駄だと考えるのはむしろ当然の話だ。わがままとか言われるのもいい迷惑だろう。デットボールのよけ方が悪いとか、当たり方が下手だとか、そんな野球以外のことを評価されたり、どうかするとボールを怖がらなさすぎだ、なんて危機意識をあおるようなことをいわれたら腹が立つのは当然で、「野球というスポーツは人を傷付けるものではなく、正々堂々と勝負するものであって、相手が投げるボールを怖がる必要というのは最初から無いに決まっている!日本という国はクレイジーだ!」という風に考えるのは当然の話だ。

 同様の事は日本選手にも言えて、たとえば読売ジャイアンツ松井、大リーグにいってもムービングボールだとか、そういうボールを外に小賢しく投げられたり、150キロのボールを日本ではボールダマといわれるようなコースに決められるのでは、持ち前の「インコースのボールをバットに載せて腕腰膝の三点の天才的なバランスで回転して引っ張る打撃」などできるはずもなく、そのうちにフォームを変えてやっと成功するが、当然今まで日本式に鍛えてきた筋肉からは悲鳴があがり、最終的に持病の右膝痛を出して故障する。フォークボールをそのまますくって打てるような技術にはあんまり意味が無いのだからそうなっても仕方の無いところだろう。が、日本人からしてみたら、ストライクでもない外のボールをストライクと言われるし、ムービングボールなんて得体の知れないボールを投げてきたり、正々堂々と勝負しないのはどっちなんだ、という意識も当然で、ある程度危険を意識した自己管理が必要ないんだったら、おまえらはいったい野球に何をかけて何を求めているんだ、という話になる。日本野球をしているものにとって、外国野球なんてのは、外に投げてごまかして打たれて、自分の身の危険一つ心配しない茶番でしかない。

 

 

 

 これを国別対抗でやったら、どうなるか、という話だが、人選を野球通の人が行ない、捕手がちゃんと対外国人選手用のリードの勉強すれば、外国人選手は間違いなく日本人投手を打てない。が、日本人打者は外国人投手をもっと打てない。結果、一発に負ける、ということは日米野球でも明らかな話である。根本的に技術の方が体力より大事とされる日本野球はもはやスポーツの域を脱しかけているといっても良い。

 が、日本野球にはちゃんとベースの上を通るボールをストライクゾーンとする正確さがあるし、ある程度の危険に負けない技術を持っている。だいたい、全くボールを怖がる必要が無い状況で、投手が外角にストライクを投げてくるのがわかっている状況でしか勝負してこないような外国の野球なんて、日本人にとっては茶番でしかない。

 

 

 たとえば、世界的にサッカーなどはある程度危険なのを承知でやっているし、むしろある程度汚くないと一流ではないとされる。スポーツとしては日本野球的であり非常にあらっぽい。

 日本サッカーのようなフェアプレイ一辺倒はむしろ力と力の勝負である大リーグ的で、スポーツとして本質的には正しいといって良い。が、それでは通用しない。おなじように日本野球が世界的に多数派であった場合、メジャー式の野球は批判されて良いわけで、日本野球に対する批判というのは概してこの種の水掛け論が多い。

 私など、野球なんかはスポーツとしてではなく、もっとドラマが見たい。野球というのが「フェアプレーを前提とするスポーツ」と考えればそれは無論本末転倒な話だが、強いものが当然強いまま勝つ、という野球は、果たして本当に強いのかどうか。サッカー的に言えばはっきり言って弱い。ある程度反則してでも相手をとめるようでないと、一流ではない。正確なルール、命懸けのバッターボックス、そういう緊張感がある日本野球が私は好きだし、わざわざ比較するのもいかがなものかと思う。日本野球というのは日本野球が正しいとされる国際世論の中にあると仮定されれば、国際試合では群を抜いて最強のはずである。だから日本野球がベースボールの国際試合で勝てないからといっても全く嘆く必要はない。

 

 

 じゃあ、日本野球は問題が無いかというのであればそうではなく、いちいち比較するのがナンセンスだといいたいのだ。日本野球ってのは確かにベースボールというスポーツとして本質的に劣っているかもしれないが、誰のために野球をやっているかといえば自分のためではなく、客に見せるためだという点でいけば、資本主義的本質は日本野球の方に利がある。当然命懸け、駆け引きアリアリの緊張感ある真剣勝負な日本野球の方が好きだという人もいるだろうし、ベースボールのような音まで楽しめるスポーツとしての真剣勝負が見たいという人もいるだろう。当然どちらも一利あってどちらも正しいわけで、いちいち比較するのもどうかしているし、どちらの方が正しい、という議論は多数派の方が勝ってしまうただの数の暴力でしか結論が見出せないものである。

 繰り返すことになるが、ベースボールと野球は確かに違うし、私は野球が好きである。そしてどちらが優れている、という議論はナンセンスではあるがベースボールはベースボールというスポーツとして野球に本質的に勝っているというのは残念ながら事実だ。また、サッカー的に見れば、日本野球の方が進んでいる、という事もまた事実である。

 

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