ぼった邸と呼ばれる我が家の記録

 

 福井県永平寺町にある寂れたアパート、我が家。某不動産会社のもので、名をコーポ○○永平寺と呼ぶ。が、何故か僕の友達からはぼった邸、と呼ばれている。

 部屋は7畳間にキッチンと、そえつけ机(移動不可)を詰め込んだ狭いものだが、ユニットバス、押し入れ付きである。ベランダ付きで、ベランダには洗濯機が置いてある。エアコンも完備。下は都合で材木置き場になっているが、駐車スペースがあり、無料で車を置ける。すばらしいのはごみ捨て場で、戸がついている上に、おおらかでいろいろなものを持っていってくれる。

 こうやって書くとすこぶる住みやすそうなのだが、僕の机好きが祟って、ひどい環境の部屋へと変貌した。そえつけの机は前に鏡があって、非常に落ち着かない上に、引き出しが無いため貴重品を入れておくところが無い。その上本棚などの収納スペースとなりにくい。そういうわけで家から机を持ってきた。それから必要最低限の本棚、そこに温風テーブル、と机類だけで三つが立て続けに並んでいるため、家出は雑魚寝もするスペースが無い。で、ベットははしご付きの背が高いものにし、その下に衣類を置くスペース。テレビ台。

 キッチンの隣に米びつ上食器棚、冷蔵庫上レンジが並ぶ。そうなると縦長七畳間にほとんどスペースは無くなる。七畳間とは名ばかりで、妙に縦長なため、ベットを置いたら一気に5畳、キッチン1畳取られて、フリースペースは4畳。そこに机類が三つならぶのだから仕方ない。収納スペースはベット下と押し入れ、ベット下はテレビが邪魔して服を取るのも難儀、押し入れには収納ボックスがあるが、押し入れの戸の前にベットがあってつかえて、押し入れからものを出し入れするのが非常に難儀である。その上福井県は風が強く、ベランダに物を干していくと飛んでいく。仕方がないからということで部屋にある洗濯物かけ、ベットの下にタオル干し、ほとんど収納スペースとはならない。

 問題は雑誌類である。雑誌読みでマンガ読みかつ、コレクション好きの僕は家にうちわと雑誌とマンガと、小説と、ゲームがちらばる。当然と言って良いと思うが、そんな事は計算に入れておらず、当然フリースペースにうず高く盛り上げられる。するとどうなるかというと、部屋が戦場と化すのだ。

 

 そのため、模様替えが必要と考えた僕は、何度かそれを試みた。が、無理なのである。まず、キッチンの向かい側に冷蔵庫等を移動し、窓向かいに机を向ければ、こたつが広いスペースに登場し、そのこたつがフリースペースとなる。ごく自然な姿になるのだが、そえつけ机が冷蔵庫等の移動を拒む。それなら、現在ベットのあるところに机を置き、出入り口方面にベットを持ってくれば、テレビの向きも変わり、押し入れがフル活用できるはずだったが、縦長の部屋は当然横に短く、なんと押し入れ前でしか、ベットが横に置けない。だったら、縦にベットを向ければ良いのだが、これもキッチンと沿えつけ机のツープラトンで、縦に置いた瞬間に部屋から出られなくなる。ならば机を一個減らせば良いのだが、沿えつけ机には引き出しが無く、キッチンの真向かいで横に立っているために飯作ると油が飛んでくる。さらに一面鏡張り。勉強は机に向かってライトを点けないと進まないタチの僕は部屋の有効活用のためだけに今ある机をどかす事は無理であった。だいたい、今の机が無ければ部屋は有効に活用されているとはいえないだろう。机の上の重要書類が僕の料理好きのせいでべたべたになるのはあまりにも無残といえる。そんなことは出来ない。

 ならばこたつをなくす、これが有力であり、一時期こたつをなくしてみた事がある。こたつとは名ばかりで温風テーブルだから、早い話がテーブルなのだが、これが無いとご飯を食べる事が無い。沿えつけ机などでご飯を食べればよく、やってみたのだが、鏡張りの前で飯を食うのは、はっきり言って拷問であった。まずテレビが見えない。じゃあテレビを見なければいいわけで、一人さびしくもそもそ飯を食う。すると鏡の前に映った自分のさえない顔を、いやがうえにも見ることになる。自然、飯がまずくなる。じゃあ、という事で机で飯を食ってみたが、醤油がプリントにかかるなどして散々であった。結局テーブルが必要である。大体テーブルが無いのでは人が遊びに来た時にコーヒーも出せない。

 そういうわけでこの部屋には構造的欠陥がある事が指摘される。まず、沿えつけ机が邪魔。そして鏡張り。これが最も大きい。沿えつけ机も、あるにしてもひどいところにある。キッチン真向かい横向き。もう一つが、出入り口が部屋の真ん中過ぎてベットを縦向きにできない。ベランダに洗濯機があるために窓際にベットを置く事も不可能。そして横向きに置くスペースが無い。唯一あるところに押し入れがある。人の模様替えの苦労を嘲笑うかのような設計ミス。せめてベランダが無く、共同洗濯機であれば、僕のテレビの位置と机の位置は劇的に変わるのに。大体あの部屋にベランダなど必要ない。ベランダがあるせいで物干しにハトがとまり、洗濯物にふんを落として飛び去っていく。馬鹿にしている。そしてベランダと通用口になっている大きい窓の生でカーテンからホコリがでて、吹き抜けの窓なんて無く風通しが悪い上ところに、窓ばかりやたらとでかいうえ、福井の強風、ホコリが舞う舞う。鳥のふんが怖くて布団も干せない。そういう設計ミスの部屋に、よりにもよって僕が住むから相乗効果で部屋の汚さは音速で進む。

 

 

 もともと掃除が好きで一週間に二度は掃除機をかけ、部屋をかたづけるのだが、半日たたないうちに一瞬で散らかる。それに収納スペースがあるのだが、それを収納するために恐ろしく手間がかかるためにかたづけても追いつかない。ようするに、キレイ好きのかたづけ下手なのだ。で、ベットを手放す思案をした事があり、そうすれば押し入れも有効活用できて部屋も広くなると思ったのだが、かたづけ下手の僕がベットをなくした時、万年床にでもした日にはどうなるかと思うと、間違いなく布団の上が醤油コーヒーの水玉模様になるだろう。どこの部屋にいっても部屋が散らかる自信があるが、よりにもよってぼった邸。

 

 

しかしそれだけではないのだ。環境の悪さはこれで収まるものではない。屋外から部屋までの廊下だが、アパート入り口のドアが強風で吹き飛んでいて、すでに吹き抜けになっており、そこを強風が吹き抜けるため、ガスなどのメーターをしまう扉が開いたりしまったりしてうるさい。

また、ベランダがあるため、はとがそこにやってきて、近くで鳴いて最悪にうるさい。ベランダにハトがいるために布団が干せない。だいたいこのハト、モデルガンで撃っても何してもいなくならない。しかも絶妙の時間に鳴きやがると来ている。夜更かしな僕の睡眠時間を狙って、朝5から10時の間クルックー、クルクル、ポー。グルグルッククク、クルックー、ポー、ポー、ポ、ポポポ、ポー、ポ、ポポ…クルックー。とフェイントを入れて実に多彩に鳴くものだから気になって仕方が無い。追っても追ってもやってきて、意地になって鳴いている。

風が強く、それに向かって堂々と横向きに向かいいれているために風で建物ががたがた震える。これがゆれるのならともかく、震えるのだ。窓ガラスが割れないか心配過ぎる。友達が風の強い日になると本気で心配するのはこちらとしても困る。

その他、車での出入り口がくぼんでいて、雪が降ったら車がはまってしまって動かない、洗濯機の中にカブトムシがはいる(これは別に困らないけど)、周りに明かりのある高い建物が無いため、夏には虫の王国となる、階段部分に屋根が無いため、雪が降り、それが凍って氷のスライダー(ウォータースライダー氷版と思ってもらって良い)が登場して、必死で上り下りせねばならない、ベランダの洗濯機が寒暖の差で水部分で凍って水漏れを起こすようになる、壁ではなくて窓ガラス部分が大きいため、そこに霰(あられ)が吹き込んで当たるとすさまじくうるさく、怖い、洗いにくい構造の並列型ユニットバス、等悩みは恐ろしいほどある。

そして、ごみ捨て場においてあると全部持っていってくれるので、という理由で、どう考えてもおかしいものが捨ててあったりする。レコードやタイヤはもちろん、本棚、テレビ、電子レンジはまだいいほうで、ベットが折りたたんで捨ててあったり、まだ中が入っているギフトセットが置いてあったり、多彩である。下の材木置き場にも、下は駐車場であった事もあって、そりゃもう洗濯機などいろんなものが置いてある。

 

 

ブラジル人が住んでいた時は困った。ブラジル人が隣に、狭い狭い七畳の部屋に3人以上(家族らしい、多分四人)で住んでいる。隣だけでなく、下の階にも住んで、夜に顔をあわせたりする。それがまた困るのだ。「ちわ」と声をかけても、言葉が通じない。何で言葉がしゃべれない外国人が永平寺町に住むのか?日曜日にサンバパーティーを開催し、ステレオをそれこそ盆踊り並みの大音量でかける。苦情を言おうにも言葉が通じない。さらに花火をする。ベランダに座っていて怖い。何故か群馬ナンバーの車、袖ヶ浦ナンバーの車、水戸ナンバーの車に乗っている。わからん。最もショッキングだったのは、ピンポンダッシュ事件だが、家の説明というよりはアクシデントなので、ここでは触れない。

 さらに、隣では哀愁のギタリストが住んでいる。靴下が高かったり、桃色吐息だったりするが、まあ許せるレベルなのでここでは触れない。

 そんなぼった邸ヒストリーをまとめてみるとこうなる。

1996年3月下旬   

ヤマナカイズミが岐阜から引っ越してくる。

96年5月  

そこらへんに大量にあった粗大ゴミが急になくなり、妙にキレイになる

96年6月

どこの誰のか知らないけれど、原動機付き自転車と二層式洗濯機が何台も捨てられる。

96年7月     

同じ場所にビデオデッキ(分解されている)、掃除機、あやしげなビデオテープが見つかる。

96年9月〜97年3月      

G氏連続して来襲、人の家で寝て帰る。あの狭い部屋で。

96年12月     

冬の稲妻と強烈なアラレで家のガラスが割れそうになり、作者泣きそう。

97年3月   

山中泉の自転車(よど号)が盗まれる。

97年5月〜6月   

我が家の周りを猫がうろつき始める

97年6月中旬   

ブラジル人が我が家の隣に家族(一室7畳、4人家族)で住み始める。また、二階には別の家族が住み始める。

97年6月下旬  

我が家の周りからぱったり猫の姿を見なくなり、ブラジル人に食われたのではないかという風説が流れる。

97年7月    

ブラジル人が毎週末サンバパーティーを開き、日曜は花火を揚げて興じる。また、夫婦喧嘩が結構おこる。

97年7月4日   

水道代が10ヶ月分まとめて要求され、山中氏が一気に財政難に陥る。

97年7月6日   

ピンポンダッシュ事件  

(ブラジル人の家に、友人Kt君がピンポンダッシュし、その後にブラジル人がキレて僕の家にビニールテープで×印を作った事件)

97年7月16日   

山中家の洗濯機にカブトムシが混入する。

97年7月中旬   

ブラジル人のかけるステレオ音がより一層大きくなる。下旬にかけてテスト時期と重なり、勉強意欲を無くす。

97年9月     

ブラジル人最高潮。彼らの車とおぼしき水戸ナンバーの車と、栃木ナンバーの車が駐車場で目撃されはじめる。ぼった邸の家の真裏に建物を建て始め、工事で昼の間中うるさくなり、学習意欲を削ぐ。ブラジルハウス建築か?と一部で話題になる。   

97年11月    

ブラジル人が半減する。が、隣の夫婦は出て行かず。ハトがあらわれて朝鳴くことが多くなる。

97年11月    

右隣のY君が、ギターを手に入れ、夜な夜な歌い始めるようになる。

97年12月4日   

また水道代まとめて要求される。

98年1月     

ブラジル人がどうやらいなくなる。

98年5月     

我が部屋(3階)でアリの行列ができ、13日間居座り続ける。

98年6月頃    

家の裏に材木置き場が完成。

98年6月     

今度は超特大のムカデがわが部屋に来襲。

98年7月     

かなり大きいクワガタムシがひっくり返って死んでいるのが発見される。

98年9月     

また水道代まとめて要求される。

98年10月    

台風で三階の通路のガラスが割れる。

98年11月    

一階駐車場が駐車禁止となり、材木置き場に移行。名実ともにボッタ邸となる。

99年1月

ぼった邸の不動産会社の除雪機がぶっ壊れ、陸の孤島となる。三回の窓ガラスが、反対側も割れ、吹き抜けになる。

99年1月17日

ボランティアが三足三千円の靴下を売りに来る。隣のY君が買ってしまい、キレる。

99年3月 

Y君、ギター最高潮

99年3月26日

テレビアンテナが見事に切れ、4日間電波離れとなる。

99年7月7日 

ぼった邸にひばりの巣が発見される。

 

 

 非常に住みにくい。非常にやるせない。そんなぼった邸だが、ギタリストでもブラジル人でもくわがたでもカブトムシでもハトでもひばりでも住めるおおらかさが魅力である。

 が、学校に行こうとした時に、車に12個所鳥の残した白い点がついていたのは、若干情けなかったりするのだ。最近はよく分からないボックスが大量に置かれ始める始末。ああ、なんとも言えないや、ぼった邸

 

 

 

戻る