第一回福井岐阜周回旅行

日時      1997年10月23〜24日

到達場所   国道21〜156〜158を周回(岐阜を斜断)

メンツ     僕 岸本さん 田中君

到達手段   岸本さんのカローラ

 

 雪が降る前に油阪デビューしよう!という企画。油阪とは福井県と岐阜県の県境を越える山道で、油阪峠という峠のある道、早い話国道158号線白鳥−和泉間であり、現在ではすでに中部縦貫道が一部開通しているが、この時はまだただのふつうの山道である。やっと車を持った(軽トラック)僕が、こういう道があるよ、と紹介した峠道であり、さほど難しい道でもない、という事で、岸本さんにもトライしてもらおう、というものであった。この日の出発時刻は早い。田中君がいる事もあるが、午後6時過ぎにはもう車は発進した。

 車は、勝山市、大野市を抜けて和泉村に向かう。和泉村に向かう前に、大野市内の「最後のファミリーマート」で、僕と田中君はのど飴を買う。何でも田中君は梅のど飴派らしく、ぼくも梅のど飴好きだったので、同じく梅のど飴を買ったところ、田中君にえらく喜ばれた。なんでも、田中君は

「梅のど飴好きな人探しとったんやわ。」

とのことで、ずいぶんな情熱であるが、この時、間違って「還元麦芽糖入りノンシュガー梅のど飴」を買ったために、若干の悲劇が待っていた。

 トヨタカローラは快調に和泉へ向かう。

「この程度の道、橋立と比べたらたいしたことないでー」

「まだまだ設定があまいっっちゅうねん。」

と、もともと関西人なのに不自然なインチキ関西弁を使って運転する岸本氏。和泉村までの道のりは、右急カーブの連続にもかかわらず全く問題ナシであった。車は和泉村のごく小さな市街地を抜けてついに油阪と呼ばれる峠をループ状の坂を登り登り行く。ループを上り切るとループの下にはトラックが来ている。

「道幅広いから、トラックとかも結構走るんですよ」

と僕。岸本さんのカローラが、しばし行くと、トラックの光が早くも岸本さんのカローラのミラーを捉えた。

「あれ、あの車もうきたで、ちょっと急がな。」

と岸本さん、ペースアップ。しかし、トラックは上り坂のカーブを曲がり終わる度に近づいてきている。

「あれ、もう真後ろやん。」

岸本さん、さらにペースアップ、上り坂のカーブを当時のキャパシティ全開で飛ばす、がじりじり近づくトラック、しばしすると距離がつまらなくなった。どうやら車間距離を開けてくれているらしい。が、あまりトラックが後ろについて気持ちいいものではない。ちょうど道が平らになった所で、70キロ前後まで速度を上げる、が、全く差が開かない。

「なんやあれ!!こわこわこわ」

と岸本さん、びびり出す。トラックで山道をこんなスピードで走るのは今考えても異常である。

「譲ったほうがイイっすよ、あのトラック、速いスもん。」

と後部座席から僕。すると岸本さん、

「譲る所あったらはよ譲りたいんやけどなァ」

とのこと。もうしばらく走ると、左の路肩に寄せて道を譲った。トラックだと思ったその車、名古屋ナンバーのダンプカーだった。しばし付いていこうとする岸本さん。しかしそのダンプたるや運転技術が並みではない。

「おーえ、完璧なラインどりや。」

「かなり安定してはしっとるなァ。」

「センターも割ってないし…。」

田中君と僕、そして岸本さんが感心する事約二分、

「もう、ついていくのやめよ…。格が違うわ…。」

と妙に声のトーンを落として岸本さん。車はスピードを落とし、落ち着いた運転で最後のループ橋にさしかかる。

「ループ状になってますからスピードを落とした方がいいですよ。」

という僕の声を聞いた岸本さんは、スピードを落としたが、さらに長く続くループ橋は徐々に遠心力を増していく。それでちょくちょくブレーキを踏まなければならない。このループ橋、当たり前だが、下っている。それでスピードのコントロールが難しいのだ。

「いやー、油阪怖いわ。」

と岸本さんはのちのちまで言い続ける事になるが、その原因はあのダンプカーとこのループ橋のせいらしい。油阪は道が広く走りやすい道だと思うのだが。

 

車は白鳥。ここまで来ると僕も軽トラックで何度か来たし、またこれ以降、軽トラックアクティ、カローラFXで数え切れないほど往復した。ここで近くのコンビニでスイッチし、僕が運転する事になった。国道156号線は、416号と並んで僕が最も良く走っている国道といって差し支えない。特に何の感慨もなく、ボーッと走っていたら、あっという間に美濃市まで来た。美濃市には、行き付けといっていい味噌カツ屋が会ったので、そこに行くことにする。午後8時過ぎ。駐車場で電気は切らないわパーキングに入れないわとオートマチック車に不慣れな所を見せ付け、頭を掻きながら味噌カツ屋(名前忘れた)

カランカラン…。

「はい、いらっしゃいませ。」

と若干嫌そうにおばさん。奥ではガタガタっと音がする。あかん、どうやら閉店間際に来てしまったらしい。めちゃめちゃ嫌な客。バツが悪そうにメニューを見ながら、味噌カツ定職を頼む僕ら。しばらくすると、いつものように極上の味噌カツが出てきた。

「うん、うまいで、冗談抜きで美味しいで、味噌カツ。」

と岸本さんは、美味しい事をアピールしてくれたが、冗談抜きで、という表現がかえってうそくさく見えてしまうのがなんとも言えない。

 田中君も

「うん、おいしいわ。」

といいながらからしたっぷり付けて食べていた。田中君は毎回出されたからしを全部消費するのだが、僕は何度やっても真似できない。あれは何かコツでもあるのだろうか。赤出汁味噌カツの赤味噌三昧の食事を終える。何度も何度も、

「うまかったでぇ」

と強調する岸本さんだが、何かやましい事でもあるのだろうか

 車はわざとらしく美濃市市街を通って高校時代の通学路を通る。

 痛烈に急な坂をギアを変えて越え、一時停止を停止しないで、道に迷って、わが母校、武義高校へ。って言うか、母校近くで道に迷うなよ、俺。ホントに行ってたのか、という話だ。

 「うん、ええ学校やで。」

と岸本さん。

 「うーん暗くてよくわからんけどなあ。」

と田中君。やはり田中君は常に正しい。暗いなか、学校なんか見たって面白くもおかしくも無いもん

「まあ、みてきゃー」

と久しぶりに美濃弁を使う自分が悲しい。

 とりあえず、なんとなく目的を達成したので(自分的に)ちょっと落ちつく。そのまま車はボクの運転で家路についた。よせばいいのに、初心者が国道21号。今でこそ、なれた道だが、福井の平和極まりない道路と比べて戦場のような深夜の21号。

 岐阜の道がなぜ疲れるのか、といえば、名古屋と同じ理由である。交通ルールが独特なのだ。

・ 追い越し車線の概念が無い。早い車線が追い越し車線

・ 信号黄色は「急げの合図。」

・ トラックの車郡遭遇率が変更が以上に多い(前が見えない)

というわけで、思った通り、恐かったりする。福井県立大の経営学科の話で盛り上がる田中君と岸本さんだが、私は自然無口になる。

「どうしたん、元気ないやん。」

と私を気遣う岸本さんだが、経営学科の話題についていけない上、21号線でちょっとおびえ気味の私。そこへ致命的なことに梅喉飴が効いてきて腹を壊しかけている。車はスピードを上げたり下げたりしながら、前の見えない道をなんとなく進み、ついに込む場所を越えた。

「さすがやなー。やっぱ地元やわ」

 と私の経路を誉めてくれる岸本さん。さすが地元なので、道に迷わない、ってのは実は誉め言葉にも何にもなってない社交辞令だが、初心者なので、かなり嬉しかった

 が梅喉飴が効いてつらく

「ごめんなさい、コンビニ!」

と運転を断念した私。サークルKでトイレを借りて、山中沈黙。車の運転は田中君にスイッチした。田中君の運転は無難だ。助手席が私で、ナビゲートしながら車は行く。岸本さんはなんと初体験の自分の車の後部座席。自分で言うのもなんだが、私は結構ナビが巧い。

「うん、頼りになるで、山中君。」

とおすすめしてくれた岸本さんは、車の後部座席に乗って上機嫌である。

「あ、あー。ええわ。意外と広いな、俺のクルマ。くつろぐくつろぐ。」

といって、無難な運転なのをいい事に車の後方でジャンプを読み始めた。自分の車の後部座席がよほど気に入ったそうだ。ボクと田中君は道を分析しながら車を進める。田中君は車好きですごく楽しそうに車を運転する。岸本サンの車が、まるで高級車に思える

 そんなこんなで車は21号を西進、関が原バイパスを経ずにそのまま8号に合流し、岸本さんが適当に疲れたところで滋賀県のローソンにとまった。もちろん私、トイレに大爆走。岸本さんは

「セブンイレブンでも良かったな。」

と妙な感想を漏らした。車はもう一度岸本サンの運転に。ここで田中君、疲れて眠ってしまった。

 

 車は天橋立コンビを前面に据え、例の滋賀県高速コース。8号線を北上。

「うーん、気持ち良いね、カーブの設定が甘い!

滋賀県には行って、結構急カーブがあるのだが、岸本サンのカローラは

こんなんどこが急やねん。橋立を見習わんかい!

と急カーブの危険標識を罵倒し、

トラックがセンターラインを超えんと、悪路とはいえんねそらアムロも結婚するっちゅうねん!

との名台詞を残してそのまま敦賀武生間。

「やっぱ油坂のほうが怖いわ。楽勝やん。こんなん道やあらへん」

とすでにテンジョウビトの風格漂う岸本氏。見事に走破し、そのまま家についた。どうでも良いけど、いったいこの一週間で何キロ走ったのだろうか、彼は。

 

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