森田と彦根

日時      1997年9月19日

到達場所   滋賀県彦根市

メンツ     僕 岸本さん

到達手段   岸本カローラ

 

 アルバイトの面接がいつになっても受けることができない97年の秋。パチンコ屋の面接の連絡はいつまでたっても無いままで、夕方はふらふらと暴れるその日暮らしの午後ばかり。大体自転車だけで暮らすのには無理がある町で。そんなこんなで、秋の空、まだまだ残暑も厳しくて、僕は他人人の車でのんびりとあくび。

「どこいく?山中くん」

 とパワ−ウインドウがなおった岸本さんはやけにうれしげ。ここの所天橋立、七尾、新潟とキャンプ、正直ドライブが義務のようになっている僕ら。とりあえずご飯にしましょう、と僕。食べるところは餃子の王将にしよう、ということで藤島通りをひたすら走る岸本カローラ。まずは僕の希望で、福井は南にあるアピタに到着。

 というのも、僕はスーパーマーケットの採点が好きな人間なのだ。まず見るのは調味料売り場と、もやし。当時はまだトウバンジャンなんかがあまりどの店にも売っているというものではなかったので、その品揃えを見る。アピタはさすがに大手ユニーグループなので、うっていた。僕の大好物、マメもやしも売っていた。これは80点、とうれしげに点をつける僕。岸本さんも

「結構ええ店やと思うよ、冗談抜きで

 というセリフ。どのへんに冗談が必要で、どの辺で抜く必要があるのかいまいち分からないが、いい店だということなのだろう。僕らは今度は生鮮食品売り場に登場。やけに旨そうなマグロどんぶりが、半額シールでうっているので、つい買ってしまった。これ食って適当に後でまた食べよう、ということになり、そこらのローソンで食っていたら、これが馬鹿ウマで、ギャーギャー騒いで食い、満足してしまったので、晩御飯はヤメになった。まだまだ若い僕ら。じゃあどこへ行こうか、ということになる。

「んーあんまり遠いところは…。」

「能登、遠いか。」

「そうだ、岸本さん、敦賀の下道デビューしてみます?」

 国道8号線、敦賀、武生間は片や崖、片や海、というちょっとした難路であり、初心者には辛い道である。が、天橋立、新潟ととんでもなく遠いところへ行っている岸本さんに、今難しいと思える道ではなかろう、とおもって提案してみた。

「ん、大丈夫?そらいってみたいけど。」

「大丈夫でしょ。そのうち越えないかんし。」

 よく分からない論理で目的地を決定。早速スタート。

 自動車はのんびりと八号線に到達、車の流れも、ラッシュの中休み、という時間帯でさほどに多くはないが、妙な混み方をしている。右に左に車はあるが、そこは一桁国道の8号で、結構速く車が流れる。

 足羽川を渡ったあたりで宮崎ナンバーの車が目の前。何とか運輸の安全ドライバー宣言車で、森田某と名前が書いてあり。森田さん、さすがに名前を乗っけて走っているだけに安全運転ですねえ、としゃべっていたら、森田いきなり車線変更、そして車線変更。電光石火の早業ですぐ前にいた車が5台も前に移動。ううむ、込んでるのに。

「うおー、男前!森田―!」

と子供な私たち、さっそく追いかける。岸本さん、初心者ながら、このあたりは徳島ナンバー、初心者マークをフルに生かし、いやらしい割り込みを繰り返して森田に接近。森田は、込んでいる中暴走していく80キロトラックなどは相手にせず、何と40キロ車、80キロ車の間を縫って制限速度60キロの定時走行!すげえテクニックだ!が、それははたして安全運転なのか?僕らは80キロ、40キロとスピードを激しく変えて森田を追走。その時、ほぼ森田の横に並んだところで、信号が赤になる。岸本さん絶叫。

「うおー森田の横に並んだで」

「よっしゃー(タフィローズ)」 

このころから使い始めたタフィローズ風よっしゃーで岸本さんは大受け(攻め言葉ランキング登場は一年後だが)。しかし、森田はそんなに甘い男ではなかった。

「うお―森田、行きよったー!」

安全宣言男、森田、思いきり非安全運転。

「うおー、森田男やァ!!!!」

その後は壮絶な森田コールが徳島カローラの中で響き渡る。

森田、森田、森田、森田、森田

今考えたらあまりに子供な話だが、当時は若かった。

信号が青になるやすぐ、森田追走の僕ら、何とか追いつき、森田の横に行こうとしたところで目の前を軽自動車が横切る。

「あの姉ちゃんめっちゃ機嫌悪そうやったで」

と岸本さん。

「何やあ、彼氏にすっぽかされたかぁ?」

と理知的な判断の僕に、

「いや、多分生理や」

と知的な考察岸本氏。結構飛ばすカローラを、嘲笑うかのような暴走ぶりであんまり込んでない8号線を突破する緑色のヴィヴィオ。

 混んだ道を右折して消えた森田追走の後は、加速力に劣る軽自動車が僕らの後をついてくることになった。僕らはギャーギャー騒ぎながら8号線を南下するが、その後ろをひたすら不機嫌そうに追走し、直線で僕らを交わし、そのまま僕らの前に入る軽自動車。そこは最近覚えたばかりのオーバードライブオフ走行で信号前テクニックを駆使、もう一度前に出る岸本氏。

「なんや、あの姉ちゃんかなり無理な走り方を。」

「やっぱ生理やで、あれ。」

と岸本氏。セクハラだ。結局その姉ちゃんは我々の後ろを追走しては、直線で前に出て信号で交わされるという事を繰り返すと、武生市で腹いせのように無理矢理前に出て、強烈なスピードでタイヤを泣かせながら左折して消えた。

「森田といい姉ちゃんといい、今日はすごいですね。」

と感想を振る僕に対し、

いやー男前やったわ。

とものすごい感想は岸本さん。岸本さん、余裕の運転である。

 

車はそのまま敦賀武生間に入る。8号線の難所である。岸本さんは、さすがにちょっと緊張の面持ちだったが、進につれて顔がにやけ出した。

「うーん、まだまだ設定が甘いな。」

「こんなん橋立と比べたらたいしたことあらへんで」

橋立をなめんなっちゅうねん!対向車がセンター割ってこんとあかんわ。」

と危険をむしろ好んでいるような運転模様。さすがだ。

「たいしたもんですねえ、岸本さん。」

と僕が言えば、

「いやあ、やっぱ橋立がきいとるわ。」

と岸本さん。やはり新潟遠征だとか、その辺のものなどより、天橋立が自信の源らしい。車はこれ以上ないぐらい快調に進む。前の車の速度も丁度良く、快調を極める。何だか知らないうちに、敦賀に到着した。

「さあ、どうしますかねえ。」

「んー、山中君、どこいきたい?」

「できれば小浜の方じゃないほうがいいですね。」

ということで、僕らは滋賀県を目指した。帰ることが選択肢に無いあたり、若い。敦賀、木之元間は交通量もそこそこの高速コースで、カーブも程よくブレンドされ、初心者には運転がなかなか楽しいところである。

「これは高速コースですね。」

「うん、楽しいわ。」

と岸本さんだが、この車はいったいどこまでいくのか?何とも言えないが、岸本さんの滋賀県の友達の家の方にいくことに暗黙のうちに決まってしまったようだ。滋賀県。岸本さんは新潟にいく前に琵琶湖を一周するなど、経験済みである。そのまま木之本を越え、長浜につくと岸本さんは「湖岸道路って言う道路があるんやわ。」

と進路をそちらに取った。

「湖岸道路な、友達のスターレットで走ってん。あのな、湖岸道路100台抜きとか…」

むちゃくちゃな話だ。

100台スか!?」

「いやあ、結局5台しか抜けんかったんやけどな、あのな、友達でやろうとしたやつが車ごと琵琶湖に落ちてんで。」

鳥人間コンテストっスね!」

「あはははは。そこあんまわらかさない!」

笑わしてるのは岸本さんの方だが…。

「鳥人間コンテストっていえばな、あのなやまなかくん、聞いてや。」

岸本さんの話はさらにおそろしげな話になる。

なんでも、岸本さんの友達あたりが、琵琶湖に自転車で突っ込むなどの暴挙を繰り返したらしく、風邪をひいたとか何とか。もうむちゃくちゃである。

 

車は湖岸道路を疾走、そのまま彦根に着くと、滋賀県立大学についた。

「暗いとあんまわからんな。」

「何か、夜来るとラブホテルみたいッスね…。」

「ほんまやな。ここでな、サングラスしてめっちゃ変なかっこうして友達まってたんや。」

友達もさぞ迷惑だったことだろう。こうして、とりあえず意味も無く、彦根を制覇。

 

 車は今度も下道を通って、難なく福井に到着。いよいよ岸本さん、全盛期である。

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