天橋立夜間行

日時      1997年8月29日〜30日

到達場所   天橋立(京都府北部)

メンツ     僕  岸本さん

到達手段   岸本さんのカローラ

 

 1997年の8月29日、僕はバイトを探していた。原動機付き自転車で丸岡や衛兵自前をうろうろしたものの、ガソリンが無意味に減っていくだけ。8月だというのに、寒い。半袖ではあまりにも寒いため、家に帰った。当然のように、今度は暑い。嫌になる。当時我が家には隣にブラジル人が住んでいて、週末は当然のごとくサンバパーティーが行われるのだった。前日の夜から、すでにうるさい。何でこんな目に会うのだろう。たまらず僕は岸本さんの家に電話した。

「なんとかしてくださいよ。」

「気の毒やな。いっそ山中くんも一緒に踊ったらええやん。」

 人事だ。岸本さんは当時、徳島の実家から自動車を運転し、バイト先のローソン駐車場から、自宅近くの駐車場を探して右往左往していた。バイトなどに忙殺され、駐車場を探していても、車が手に入った嬉しさからか、明るい。とりあえず励ましてもらえる事になった。岸本さんは免許取りたて、僕は始めて彼の車に乗せてもらった。カローラという車は本当にコメントの仕様がない車だ。前後左右上下、全てが普通だ。でも僕は車の事など知らない。当時はまだヒロの車ぐらいしか乗った事がなかった。

「うわー、いい車ですね。」

 本心からそう思う。何故ならこの日、僕は岐阜の実家からかえってまだ4日しか経っていない。僕が実家で乗っていた車は後に僕の愛車となる軽トラック、ホンダアクティであった。それからすれば中は広い、走る、その上集中ドアロックのカローラはすごく良い車に見える。

「ええやろ、不満なのはK君と同じ様な感じやから、多分『真似した』とかいわれるぐらいやで。」

 本人もひどくお気に入りのようである。

 出発はそれからである。僕の記念すべき初の長距離ドライブは、まず目的地は敦賀、と決まった。当時岸本さんの車には、カセットデッキしか載っていなかったので、僕がチェッカーズのカセットテープを持っていった。二度三度、僕はヒロのミニカと後藤さんのマークツーで敦賀と武生の間の道を超えているので、その道が初心者には危ない事を知っていた。そこで敦賀まで高速道路を使う事を選択、出発した。

 

 「レッツゴー」と口を合わせる。徳島ナンバーのカローラは、兵庫県民と岐阜県民をのせ、ガスト福井東店を出た。運転は正直怖い。ブレーキが遅い。カーブが来るたび、僕の足はピーンと引きつる。太股の筋肉は常に緊張していた。左足は、ブレーキもないのに思いっきり伸びている。ないのは分かっているのだが、つい自分も踏んでしまうのだ。それぐらいにブレーキが遅い。

「岸本さん、オーバードライブオフにした方が良いですよ。」

 たびたび僕は口にする。僕はオートマチック車には載った事がなかった。僕は実家で友達に自動車運転のイロハを教えてもらってきた。ついでに兄に色々聞いている。そして何より、僕は後藤さんの助手席で何度となくその運転を見てきたため、オーバードライブのオン、オフの効能は良く知っていた。高速道路の中で岸本さんに言うのだが、イマイチ要領を得ない。仕方がないので僕の顔は引きつり、足は痙攣しそうになっている。高速道路の出口では正直死ぬかと思った。カーブの進入速度が半端でない。なんだか分からないけど、とにかく怖い。

 高速を降りる。怖かったのだが、岸本さんはバックグラウンドのチェッカーズにのせ上機嫌であった。この日はずっとチェッカーズであったため、岸本さんにも気に入っていただけ、その後僕はチェッカーズのカセットテープを作る、ということがあるのだがそれは後の話となる。

「せっかくきたんやでまわってみようや。」

 敦賀を廻ってみる。この頃僕の右手はカローラのシフトレバーを握っていた。

「岸本さん、エンジンブレーキ。分かります?」

 最初のうちはまだ要領を得なかったが、そのうち、

「おお、きいとるきいとる。」

 とエンジンブレーキの効能を理解していただけたようである。気がついたら車は国道27号線に乗っていた。夜、初心者が来るにはあまりにもハイスピードなコースである。が、エンジンブレーキを覚え、ある程度スローインファストアウトを体で覚えた岸本さんの運転技術は、上中町あたりからそれこそ飛躍的に向上する。

「このチェッカーズの初期の作曲者が好きでね、今度タッチのCD買おうと思うんですよ。」

 と僕も会話に余裕が出てくる。いつのまにか目的地は当初の敦賀近辺から小浜へと変わった。僕の右手はもうシフトレバーから離れた。岸本さんはすでにエンジンブレーキを自分のものにしている。小浜に到着。しかし停める場所がない。どこに停めようか、と行っているうちに車は高浜町まで来てしまった。どこまで行くのだろう。僕の右足はピーンと張っていた数時間前と比べ、余裕綽々だ。なんでこんなに上手くなる?というほどに上手くなっている。舞鶴の看板を見て、

「おし、目的地舞鶴決定!」

「おっしゃ!」

 と二人ともずいぶんノってきた。運転はすでに、怖い運転のレベルから、まあ大丈夫な運転、さらに、普通の運転、それをとおり越して、怖いとかそういう事が気にならない運転になっている。すっかりドライブをエンジョイしている。舞鶴方面には引上げ記念館方面に二つ、強烈なアップダウン付きのカーブがあるが、岸本さんは

「うお、こわこわこわ、なにすんねんなにすんねん。」

といいながら危なげなくカーブを通過した。今となんらかわりない。この時にはすでに前のトラックに追いついていて、そのブレーキの踏み方を見ながら道を判断する余裕が生まれている。今から思えばとんでもない事だが、それほどまでに岸本さんは上達している。

「えらいスピードおとしたで、前危ないな。」

 とこのカーブの前ではスピードを落としていた。おそるべし、岸本和也20歳(当時)。

 

 車は舞鶴の町に入る。

「さすがは京都府ですね。」

 地方都市でありながらも、福井より華やかな夜である舞鶴の町。遠いところに来たという実感はあまりなく、それでも車は進んで行く。ただ、遠いところに来たという実感より、遠いところにいるのかもしれない、という疑念の方が強い感じで、会話もそんな感じで進んでいる。

「もうそろそろひきかえそか?」

と岸本さんは言う。僕も当然帰った方が良いような気がし、

「そうですね。」

という。が、車はまだ進む。看板には福知山とか綾部とか、そういったみやびた感じ(あくまで感じ)の地名が映るようになって来ている。しばし行くと、福知山方面に行く道と、宮津方面に行く道とに別れるところに来てしまった。

「天橋立があるらしいですよ。」

という僕の一言で、進路が決定してしまった。岸本さんはノリが良い。下手するとノリだけで生きてるのではないか、という気がしないでもないくらいだ。

「いっちゃおか?天橋立?」

「しゃ!いきましょう!」

 恐ろしい事になった。運転免許を取って一ヶ月、車を手に入れて一週間の岸本さんと、ナビ歴ろくに無しの僕がなんと天橋立を目指している。今思えばあの道はそこそこ険しく、宮津につくまで、

「コンビニがあったら入りましょうか?」といって一つもなかった。宮津の道をとおっているのは深夜の二時。初心者中の初心者である岸本さんは何の危険も感じさせずカーブをパスしていく。

「このカーブはまだまだ甘いな。そんかことではいかんぞ。」

と余裕綽々である。

「楽しそうですね。」

というと、

「今じゃカーブの方が楽しいくらいや。ん、このカーブは、んー惜しいな、50点って所か、まだまだ設定が甘い。」

設定が甘いって…。設定厳しくしちゃまずいでしょ、ゲームじゃないんだから。そんなこんなで天橋立、ついに到着。途中どこがどこだかわからなくなって道に迷ったものの、まずは無事でついた。

 

 さて、天橋立。たまに「つーん、つーん」と音がするし、妙な顔した猫が目の前を走っていくしで変な雰囲気であったが、特に見るべき物はなく、帰ることになった。車を四苦八苦させて回転させ、さあ帰ろう、とした瞬間、京都ナンバーの車二台が学生らしき若者を満載してはいってきた。自分の事を棚に上げて、

「暇人大学生め!」

という僕ら。学生の顔を見て

「暇そうな顔してやがる。」

と言おうとしたら、どこかで見たような?あれは高校時代同じクラスだったM?

「な、M!」

岸本さんが車を出した瞬間に僕は後ろを見ながら叫んでいた。あの特徴的な顔は間違いない。クラス編成の関係で僕は、高校三年生時代友達などいなかったが、クラスメートの顔ぐらい覚えている。初心者中の初心者が、徳島ナンバーの車に乗って福井から天橋立に来たのはおそらく史上始めてだろうが、その助手席に載っている岐阜県民が、深夜の三時に同級生を見つける確率と言ったら、おそらく天文学的な数字であろう。な、なんちゅう偶然。

 

 僕はどっと疲れが出た感じであった。が、旅はまだ半分を数えた状態でしかない。岸本さんは相変わらずカーブを採点しながら運転する。僕はそれを、

「岸本さん、すごいですよ。」

としきりに誉める。そんなやり取りばかり繰り返して車は進む。すっかり天下無敵の岸本カローラは、福井目指して急行する。夜はもう終わりに近づいた4時過ぎ、岸本さんのカローラは舞鶴の地を踏んでいた。後ろには京都ナンバーのやる気万々のスカイライン。走りっぷりから見て、相当自分に酔っているようである。

「そんなに急いでも仕方ないやん、ばかやなぁ」

と岸本さんは道を譲り、隣に陣取る。信号は赤となった。すさまじい加速で飛び出すスカイライン。はるか後方においていかれる徳島カローラ。が、岸本さんはしたたかだった。エンジンブレーキを多用し、経験豊かなトラックドライバーのごとくスピード調節で、前の信号が青になる瞬間に交差点に出る。隣のスカイラインは一度交わしたはずのカローラ、しかも初心者マーク付きに、一度交わされ、悔しくなってもう一度すっ飛んでいく。が、また信号にかかる。以下は省略。同じような事を5回も繰り返し、相当むかついたらしいスカイラインは強引に僕らの前に入り、どうだ参ったか、と言った感じの加速して右折し、27号線から消えていった。岸本さんは

「しらーん。アホなんちゃーん。ああいうのきっと誰も友達おらんで。」

とすごく満足そう。トラックの運ちゃんが良く使う信号に合わせて飛び出す走法を、僕ら何も知らない初心者二人は、「舞鶴攻撃」と呼んでそれからずっと多用した。こういう事も含め、岸本さんは恐ろしい勢いで上達している。

 

 さらに車は進む。行きに「うお、こわこわこわ、なにすんねんなにすんねん。」と攻略したカーブ手前。とんでもない大きさのトレーラーがすれちがっていった。

「ああいう車とすれちがわんで良かったわ。」

と岸本さん。そしてカーブに差し掛かる。右上方へカーブする急激なS字カーブ。左上方から来る車は見えない。岸本さんが、今でも「あれが一番怖かった」と言う事件が起る。岸本さんは安全運転でカーブに進入。すると上からさっきと同じ大きさのトレーラーがやってくる。このカーブ、道幅が狭い。岸本さんは左に車を寄せた。

「噂をすればきよったで。」

初心者ばなれした落ち着き方である。トレーラーは窮屈そうにカーブ、僕らの方へ向かってくる。

「おい、センター割ってへんか?」

と言った直後、岸本さんの車は左ギリギリの幅寄せをし、ブレーキを踏んで停止。これ以上ないほどの安全処置(初心者のくせに)を取ったのに、それでもセンターを割ったトレーラーは、右のミラーに擦りそうになりながら、悠然とカーブしていく。

わー!!!!

 僕ら二人は止まった車の中で絶叫する。トレーラーが通り過ぎた。

「死ぬか思ったで。」

岸本さんはふうとため息を吐いていった。僕はそっと左のサイドミラーを覗いた。ボディーすれすれに岩肌がある。もし岸本さんが出発当時の腕であったらと思うとぞっとする。そこからしばらく岸本さんはのろのろ運転を始めた。夜が白み始めた頃、僕らは小浜近くでホットスパに停車。岸本さんは心底疲れたらしく、

「山中くん、運転かわってや。」

と言われた。

 

 

 僕はそう言われて運転を変わった。トロトロと進み始めた。おにぎりをほお張った後で、まあ元気もある。安全運転ばかりに気をつけて車を出す。長かったたびも、もうすぐ終わる。敦賀手前。後ろから一台、白み始めた空の下、カローラは安全運転を続けるが、こんなライトを眩しく感じさせる時間に、すぐ後ろを車がついてきた。初心者だと思ってなめているらしく、ぴったりつけている。コーヒーを飲んだ後でもあり、妙に元気だった事もあるが、僕はトンネル手前で、

「うっとおしいんだよ!」

と一言、アクセルを全開した。車はキックダウンし、ぐんと加速する。後ろの車が見えなくなるまで踏んだ。岸本さんは笑って、

「山中くん、出す時はだすんやな。」

と言われた。

「ちょっとむかついたんで。」

と答えた。スピードメーターは150キロを超えていたが、当時初心者だった僕らにはその数字の大きさは分からなかった。その数字は今でも岸本さんの車のマックスを記録している。もちろん、高速ではなく、国道で出してしまった。いまだから笑い話だが…。

 

 その後高速に乗る。鯖江のP.Aで運転を交代し、福井北インターでおりた。長い、長いたびであった。

 

 次の日、軽い飲み会があって、友達の家に集まった。岸本さんの運転がどういう物か知るヒロなどは、

「よー生きて帰ってきたわ。」

と言っていたが、僕らは事の重大さはそれほどに分からない。それより同級生を見た事でびっくりしていた。ヒロがその後岸本さんの運転を見て

「めちゃくちゃ上手くなっとるやん。」

と口にしたが、岸本さんからしたらさほどの実感もなかっただろう。上手くなった、と言っても練習ではなく、ただ旅行してきただけだったのだから。

 

 更に翌日、岸本さんが僕に言う。

「昨日地図見たんやけど、遠いで、天橋立。」

僕も見てみた。遠い。確かに遠い。それを見て、ちょっと怖いことしたかな、とか、思ったのであった。が、その5日後には、またとんでもないところまで二人で遠出した。

 

あの程度、懲りる事じゃない。

 

 

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