無駄にすげえぜ!グリーンセンター

日時     1999年1月17日

到達場所   福井県吉田郡松岡町内グリーンセンターという名前の公園

メンツ    僕だけ

到達手段   カローラFX

 

 靴下を買おうと思ったら金がなかった。

 この日、我が家にはボランティアの人が靴下を売りに来た。ちょうど靴下が無かった僕。喜び勇んで高い靴下を買おうとする。なんたって3足3千円。いい話の種になる。しかし、財布の中に金がなかった。しぶしぶ、その高い靴下をあきらめた。そこで私は旅に出ようと決意した。旅は人を大きくする。その日の僕は徹夜明けであったので、遠くには行けないだろうが、近くでも非日常に浸かることはできるであろう。

 隣では靴下を買ったらしいY君の「高いっちゅうねん!金ないっちゅうねん!」という虚しい台詞が響いていた。私は彼の優しさに嘆息を漏らさざるを得ない。私が車に乗り込むと、ボランティアをやっている人と目が合った。ボランティアで押し売りするのはどうかと思う。人に無理に靴下売るって言うのは、人の不幸の上にボランティアが成り立っているわけで、善意の上に成り立っているわけではない。Y君の例からも顕著である。それは本末転倒というものではあるまいか。そんな事を思いながら彼女の顔を見る。彼女はそういう僕には目もくれず、足取りも確かに民家へと突撃していった。すげえブレイブハートの持ち主である。

 

 

 

 寒空の下、車はスタートした。寒い。雪の残る土の上、少しだけ雲のある空の下、まだ暖まっていないカローラFXは、寝起きで動きが悪いながらもゆっくりと動き出した。しばらくFIELD OF VIEWにのせて車を運転すると、ほどなくグリーンセンターについた。カローラFXは暖まる前にもう一度眠りにつく。

 相変わらず、無駄に広い。福井県の嶺北地方の、自称学園都市の片田舎、松岡町の一角にあるグリーンセンターはいまいちどういうコンセプトで作られたかわからない、広大な公園である。僕はここの芝生の上で空に向かってキャッチボールしたり、ドリブルの練習をするのが結構好きだが、季節が冬であるだけに、それはできなかった。芝生がぬれている。仕方なく散歩する。歩いていたら、おじいちゃん、おばあちゃん、子供を連れ雪の上ではしゃぐお父さん、雪の上で暴れまくる子供を連れたお母さんなど、様々な人が歩いている。面白かったのは、暴れる子供を連れている人は落ち着いていて、はしゃがない子供を連れている人は親がかわりにはしゃいでいることだ。ま、ヒューマンウォッチングをしに来たのではないから、この辺の検討は避けよう、とひとりごとをぶつぶつ言いながら歩く。

ぼくがグリーンセンターに来たときは大体池を見に行く。そこには鴨がいる。僕は、どんなに冷たい水の中でも、軽くて暖かそうな羽毛に包まれ、優雅とは程遠いユーモラスな動きをしながら泳ぐあの鴨のファンである。あの鴨は口の動きが忙しい。鴨独特のあの緑色のくちばしと頭を見ているだけでかなり心やすらぐが、あの鴨ときたら、また細かい動きをし、生活観を漂わせるので、僕のアルファー波は大安売り状態となる。頭の中で鴨にしゃべらせると飽きない。あまり書くと人格を疑われそうなのでここでは書かないが

そんな楽しいヤツなので、今日も三十分ぐらいあの鴨を見ながらニヤニヤしようと思っていたら、先客が鴨と戯れていた。親子連れであった。鴨君もあまり多くの人に見られるのも嫌だろう、と思ってその場を離れた。

 

 

 

 鴨を見れないなら、ドリブルもできなきゃボールを投げることも蹴ることもできない雪に埋もれたグリーンセンターに用はない。そうは思うが、家に帰っても靴下に悩む隣人の歌声ばかりが聞こえそうだ。結局仕方が無いので歩いてみる。無駄に広くて無駄に道が分かれるグリーンセンターの林の中を歩くと、親子連れがはしゃいでいるから、なんだか場違いな気がしてその場を離れ、ウッドリームとかなんとかという建物の方に向かった。建物はあまり高くも無いのに展望台があり、そこから見える風景がまた貧乏臭いのだが、雪に埋もれる福井県を目にできるのも、そうある機会では無いと思い登ってみた。

 東京はどっちだろう、とか、岐阜の我が家はどっちだろう、とかひとりごとを言いながら風景を見る。そうでもしなきゃ暇でしょうが無いし、本当にどうでも良い風景だから、まともに福井について見とれることはない。驚きが無い。ま、展望台から見える風景ってのはそんなもんなのかもしれない。本当にきれいな風景でも、どうでも良い風景に変えてしまうのが、過剰な期待をさせてしまう展望台の罪である。あくまで僕にとって、だけど。ブツブツ言ってもつまらないのが楽しくなるわけでもなく、また仕方なく下に降りる。仕方ないから動いてばっかりだ。施設が既に受動的である。相手が勝手に動いてくれ、と言うものしかない。施設自体に主体性を持たせるような魅力的なものはここにはないのか?感受性を育てる施設だったら、何も無いことこそが良い所だとは思うのだけれど。

 

 

 

 嫌いなエレベーターを降りてみる。「あった。」主体性を持たせるような魅力的なものが。なんか知らないけど、ウッドリームの中にはなんか緑がいっぱいの怪しげなコーナーが。さっそく中に入ってみる。まず最初に、福井県の森を紹介する画面が出てきた。興味がある森のボタンを押すと、その森について説明がなされる。

「この森はどこどこにある森で、こうこうこういう森です。」

などと延々と説明を始める。で、行き方は?行き方は?ねえ、行き方は?

 どのボタンを押してもその森への行き方を教えてくれる親切な紹介はなかった。この森ではなになにが楽しめる、とかナニナニを見ることができるとか言われても、行き方が分からなければあまりその森の情報を知った意味がない。だって行けねえもん。関係ねえじゃねえか。来るんじゃねえ、と言われてるような気がしてしまう。気比の松原の説明では、日本の三大松原に数えられることは分かったが、それ以上に残り二つの松原がナニ松原で、どこにあるのか気になってしまう説明の、このかゆい所への手の届かなさ。わざわざ知らないことを増やしてしまう恐ろしい説明。

次のコーナーへ歩くと、

「森のできかた。」

のコーナー。ボタンを押すと、

「火山などが爆発し、大地ができると、まず最初にススキが生え、次に松が、そして最後に暗い所でも育つブナなどの木が生え、そこで安定します。」

と、中学校で習ったことを復習させる画面が出てきた。なかなかためになる。が、画面が粗い。

 さらに進む。徹夜明けなので、疲れているのに、この構成はなかなかにキツイが、まだ残っている。最初の二つを見た以上、見なければなるまい。進むと、「もし森が無かったら」というどうしていいかわからないテーマのコーナーがあった。なんでも、森の妖精ドリンちゃんが、もし森が無かったら世の中はどうなるか、という子どもを脅すための企画らしい。子供にものを教えるには確かに脅すのが一番いいのかもしれないな、と思いながら、模型のボタン「押して下さい」を押す。

 まず最初は、もし森が無かったら、水はどうなるか?である。覚えている限りで忠実に再現してみようと思う。ドリンちゃん初登場。ドリンちゃんってのは森の妖精らしいが、その名前の由来は何だろう。まさか土林ちゃんではあるまいな。グリーンセンターはそんな説明などもちろん無しに、無駄にすばらしいホログラフ映像を駆使し、中にある模型を動かす。照明技術を駆使して山に川を創り、雨を降らす。すごい技術で一瞬感動したが、一週間に何人これを見るのだろう、と思うと泣けてきた。

「はーい、私ドリン。もし、森が無かったら、山はどうなっちゃうのかな?」

 NHK的である。模型の形状から脅しを行うことは容易に想像できるが、ドリンチャンはどうするのか?大注目だ。

「ほら、見てみて、雨よ、あめー。うわあ、すごい降りかたぁ。きゃあ、すごい水、見て、すごい勢いで流れてるぅ。きゃあー、洪水よー。土砂崩れよー!!!」

確かにすさまじい感じがする。雷の音まで聞こえて大迫力だが、僕しか見ていないのが実にむなしい。だいたいドリンちゃん、そんな雨の中優雅に空を飛んでいる。それに土砂崩れはやり過ぎではあるまいか。あ、山がせりあがってきた。

「もし、森があったらどうなるの?あれえ、雨が降ってるのに、水はあまり流れて行かないわ。見て見て、木を伝って水が山に染み込んでいく。」

 確かに染み込んで行くのが見える。すばらしい照明効果だ。が、川の流れはさっきとあまりかわらないぞ。それに、雷の音を無くすのはあまりにも卑怯というものだが。そして、ドリンちゃんが、山の森は災害防ぐ働きと水をきれいにする働きがあることを説明してこれは終わる。なかなかだ。と思って次のところへ行く。

 

 

 次のところでは、森は風を防ぐ、と言ってまた模型の上からホログラフを見せるものである。ボタンを押す。

「はーい、私ドリン。ここでは森と風のことを説明しまーす。もし、森がなかったらどうなるのかしら?」

ここのホログラフィーもなかなか劇的ですらある。しかしどうやらフィルムを両側から照射して立体的に出しているだけらしく、ドリンちゃん自体は動くが、表情などは動かない。いわゆる子供だましだが、実際子供はだまされるのでいいかもしれない。

「ここは海岸。森がない時はどうなのかしら。潮風ってべたべたして嫌ねえ。きゃー、すごい風、すごいわー。台風みたいー。キャー私、飛ばされちゃいそー、あー(画面から消える)。」

 まさかホントに飛ばされるとは思わなかった。潮風うんぬんした後に台風みたい、というセリフが来るのもさることながら、森の妖精が風で飛ばされるとは貧弱すぎる。だったら陸の上に立てよ。大体てめえ散々な雨の中空飛んでたじゃねえか。あ、森がせりあがってきた。

「今度は森がある時。あー、気持ちいい風。森の間を通ってくる風ってホントにさわやかね。皆も森を大切にしてね。」

…。台風みたいな風だったら森は倒れないか?と思ったが、まあいい。次。

 

 

 

 温暖化を説明するドリンちゃん。ここではさほどの間違いもなかった。せっかく徹夜明けだから笑わせて欲しい、とかブツブツ言っていたら後ろからどうやら施設の人らしい人が見回りに来た。彼は素通りだったが、こっちはめちゃめちゃ恥ずかしいし

 更に後ろを見る。後ろではドリンちゃんと車の模型が置いてある妙な箱があり、そこには「受話器を取ってボタンを押して下さい。」とかかれたインターホンがある。早速やってみる。

「はあい、私ドリン。」

同じかい

「ここでは森が音を防ぐことを紹介するわ。もし、もりがなかったら、町はどうなるのかしら?」

すでに森が音を防ぐことを紹介している気がするが、徹夜明けだから気にしない。さあ、車が走り出した。ベルトコンベアで

「きゃー、うるさい!うーるーさーいー

 てめえが一番うるせえよ。

「見てみてえ、80ホンよ。きゃー」

車が通るだけでキャーという奴もどうかとおもうが。80ホン。今はデシベルだが、そんな事はどうでもいい。80ホンという単位が子供たちにどれだけうるさいか分からせることは不可能であるのが問題である。お、木がせりあがってきた。

「木があるとうるさくなくなるわ。40ホンよ。これぐらいなら私達森の妖精も耐えられるわ。」

勝手に耐えてろ、と思った。

 

 

 そして森の体験コーナーがあって、その中に入ると森の匂いと、森の音がするのだが、近くに森があるからそんなもの要らないと思った。いくらかけて作ったか知りたい、あの施設。税金の使い道なんてそんなもんだと思うけどさ。

 何か疲れたので帰った。隣の人は帰ってみたら歌を歌っていた。立ち直りの早い人だと思った。靴下も平和に使われたことだろう。

旅日記番外編へ