僕の美濃町線

 廃線となると言い始めて10年も立つ頃になるといい加減に廃線にしろといいたくなってしまう。美濃町線は僕にとって、いや、僕らにとって邪魔な存在ですらあった。美濃町線が無ければ、踏み切りにかかる事も無い。大体家のそばを走っているので結構うるさい。美濃町線が廃線になる、ならないが問題となる前に既に越美南線は廃止され、レールバスの長良川鉄道が第三セクターとしてスタートした。レールバス長良川鉄道、通称ガラガラ鉄道は文字どおりガラガラの為、駅をずいぶんと増やし、一度に運べる客の量を減らし、更にワンマンにした。名鉄電車よりスピードは速いが、これ以上ないぐらいキャラがかぶっていて、おまけに路線区間もほぼ重複している。

 美濃町線が統合されるのも時間の問題だと思われた。しかし、実家を離れて福井で暮らし、たまに実家に帰ってくると、妙に美濃町線が良く見えたりする。なかなか「味がある」のである。バスのように次降りる駅の前でブーっとブザーを押したり、電車の中からへろへろの案内音楽が流れてきたり、たまに電車で帰省する時に乗ったりすると妙に心地よかったりする。

 子供の頃はあまり覚えていないが、それなりに美濃町線には思い出がある。犬の散歩をしていたら、電車をおびえたこと、自転車で競争して見事に勝利を手にした事、ワンマンカーのブザーを押すのを楽しみにしていたこと。などなどなど。客が一番たくさん乗ったのは高校受験の時だった。センター試験を受けに行く時は何と路面電車の美濃町線が二両編成になり、これが大々混雑。おりしも岐阜県身の地方には記録的な雪が降った次の次の日で、ブレザーの上にコートを羽織って、風邪ひきマスクをした僕が、電車の中で必死にふんばって暑苦しい思いをしたり。名城大学の受験の帰りに乗った電車で、「野茂に似てる」とか言われてみたり(似てないが)。お土産に赤福を買ったりしたりして。思えば美濃町線と共に行った受験はかなりの成功を収めた。極端な言い方をすれば今の僕があるのは美濃町線のお陰かもしれないのだ。

 美濃町線が路面電車じゃなかったら、僕はあんなに自転車に乗らなかった。美濃町線が無かったら、僕は速い電車が好きでは無いかもしれない。美濃町線が無かったら電車全体が好きになる事も無かった。そう言えば、僕が遠くに旅行に行く時には、必ず美濃町線に乗っていた。僕の思い出の多くは、美濃町線に支えられていたのだ。

 そんな大袈裟な事を思いながら、美濃町線を見るようになると、いつしか美濃町線には鉄道マニアのカメラが多く向けられるようになっていた。美濃町線ともども、カメラマンの姿、カメラマンが乗ってきた車が道をふさいだり、目障りな上に邪魔な事この上なかったが、そんなに悪い気はしなかった。我らが美濃町線が、愛されている事を知ることができるからだ。

 が、急に増えたカメラマンにはわけがあった。ついに美濃町線の廃線が決まったのだ。

 

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