自分の考えていることを書いておく、「言葉の倉庫」です。

歩くより走ったほうが速い

当たり前のこと。ダラダラ歩いているより、走っていくほうが速いに決まっている。仕事するときは一生懸命やる。悩んだ時も一緒。道が間違っているなら引き返せばいい。いっぱい走って目的地を探そう。目的地がわかったら一直線に目指そう。全力を尽くそう。全力で目指そう。

 

君の元気は僕の元気さファイト!

誰かを笑顔にすることで、自分も笑顔になれる。そういう自分でありたい。誰かを笑顔にするために、自分も笑顔でいる。そういう自分になりたい。ニプロのCMソングは私の原点。

 

出来ることを出来る分だけ

出来ないことをやろうとしても無理が出る。まずは、出来ることを出来る分だけ精一杯やり抜こう。

 

出来る出来ないじゃねえんだよ。やるんだよ。

出来ないことをやろうとしても無理が出る。でも、やらなきゃいけないことがある。ならば、出来る以上のことをするしかない。出来る出来ないの問題じゃない。覚悟を決めるんだ。やるんだよ!

 

頑張ることは勇気を出すこと、勇気を出すとは覚悟を決めること、覚悟を決めるとはやってみせること

失敗するかもしれない。めんどくさい。それが頑張ることの対極にある。でも、やるのだ。やるために覚悟をする。退路を断つ。必要なのは勇気。頑張らないと、頑張れない。覚悟を決めて、勇気を出して頑張る。それでできなきゃ仕方がない。

 

失策は我にあり

自分の不幸や、運の悪さや、めぐりあわせや、不遇、そんなものを嘆いている時間があるなら、ちょっとでもマシにするように努力する。嫌なことを人のせいにしているうちは進歩しない。失策は我にあり。人の失敗まで面倒見てやるぐらいの気持ちでなければ、強く生きてはいけない。

 

悩んでも無駄だ!忘れろ!

大概の問題は悩んでも解決しない。特に人との関わり合いは、自分だけで悩んでも仕方がない。自分が悩むことで、得する人間なんて誰もいない。心配かけたり、傷つけるだけ。ならば、自分がいっぱい傷つきゃいい。忘れるまで、感傷に浸ってればいい。

 

逃げ出すことでは逃げ出せない

逃げ出したところで時計の針は止まらない。仕事的なことや、精神的なことなら、逃げ出す事では逃げ出せない。ぶつかっていくか、降参するか、あるいはかわすのか。覚悟を決めればそれでいい。覚悟が決まらないから、逃げ出そうとするのだ。

 

ケンカとは、相手の言葉を聞こうとしないこと。

同様に「喧嘩を売る」と言うことは、「話、言い分を聞かない」と宣言すること。正しいか、正しくないかなんて、話をしても結論が出ることなんてあまり無い。感情的なことならなおさら。相手の話を聞いて、それが自分の考えと違っていても、その考え方自体は認めるとか、許すとかしなければ、きっとケンカなんて終わらないのだろう。相手が未熟でけんかしている、と思ったならば、その瞬間に自分の未熟も認めなければならないのだと思う。

 

前向きに生きよう。前は明日だ。明日、未来に笑えるように、今何をすべきか考えよう

前向きに生きたかったが、前がわからなかった。やっとわかった。未来だ。でもそれがわかったからと言って、どうすれば未来に進めるのだろう。待てば時間だけが過ぎていく。未来は変わらない。だけど、きっと自分の考えだけは変えられる。自分で動けば、きっと未来までも変えることができる。前向きに生きよう。明日笑えるように生きよう。

 

明日笑えるなら、今日いくら怒っても泣いても、別にかまわない

今日も明日もあさっても、ずっと笑って生きていくことはきっと無理だろう。どこかで壁にぶち当たる。でも、壁にぶち当たっても、それを乗り越えていけばいい。乗り越えていくことで、もっと明るい世界が見えればそれでいい。前向きに生きるためには困難が待っている。そんなことはわかっている。乗り越えられなければ次の道を探せばいい。明日笑うためには、きっと何かを犠牲にしなくちゃいけない。犠牲にしなくちゃいけない何かがわかったのなら、それはラッキーなのだ。だから、いっぱい怒って、いっぱい泣けばいい。無理に耐えることはない。犠牲にしなければ、明日笑えない。

 

生まれつき優しい人なんかいない

やさしいのはある程度才能もあるかもしれないけれど、何がやさしいのかがわからなければ、そうすることも出来ない。感情が豊かでなければ、やさしさなんか生まれない。痛い思いをして育てなければやさしくなれない。人によって感情は違う。だから誰にも優しくすることは難しい。誰にも優しくしようとしたければ、もっと痛い思いをいっぱいしなければやさしさが育たないから。でもどうすれば痛くないのか、考えることでやさしさは今よりは育つはずだ。

 

正しいと信じた瞬間、考えは感情を生み、感情は愛憎を生む。その正しさは正義ではなくなる

だから、正義なんて人の中には存在しない。正しいことを正しいと信じた瞬間、それが人の心によって歪められる。いつまでもそれが正しいのかどうかを求め続けなければ、正義自体が悪に染まるのだ。常に求め続けなければならない。

 

孤独は罪を生む

例えば病気のとき、考えなくてもいい事を考えて人は落ち込む。例えば誰とも電話がつながらければ、それだけで必要とされない気になってしまう。考えなくても良いことを考えて、人は罪を生む。孤独は罪を生む。孤独であると思うのならば、一人でも出来ることを見つけなければならない。

 

モラルの高さ=当事者意識の高さ

モラルとはやる気の意味であったり、良識の意味でとらえられることもある(違う言葉だが)。どちらにも共通するのは「当事者意識」を高めてやれば、解決することだ。

 

愚痴が多いということは、自己弁護のためのハードルが低くなっているということ

安易に愚痴を言うと言うことは、自分に対して甘いと言うことだ。

 

その時他人にどう思われるかではなく、自分が後から振り返って正しいと思える選択をしろ。

相手に合わせるのは大事だが、相手に合わせるのがすべてではない。選択するうえで、当事者は自分だけではないが、相手だけでもない。自分が後から振り返り、正しいと思える選択が出来ればそれがベスト。出来ないなら、間違っているかもしれない選択を外して考えたほうが良い。

 

正しいと思う選択の基準は「自分のため」ではなく「他人のため」にする。

正しいと思う選択は相手がどう思うかではない。しかし、基準が自分がどう思うかでもない。相手に、そして第三者にとってその選択がどうなのかを探る努力は常にしたほうが良い。

 

人の話はちゃんと聞く。人の話を聞かない人の話は自分も聞かない。

会話は相手の話を聞く姿勢から発展する。言いたいことを言うより、まず話を聞くのが大事。だが、相手が話を聞かない時は相手が会話したいわけではなく、しゃべりたいだけだ。適当に聞けばいい。

 

必要なのは正義感ではなく、最適を探すセンス。

幼稚な正義感は時には必要だが、ことを収めるにはむしろ邪魔になる。自分も相手も損せず、その場を納める、そして同じことを繰り返さないための道は常に探せ。それがセンスにつながる。

 

頑張るのは当たり前。問題はどう頑張るかだ。

やればできるというが、普段からやらない人間はやれないから出来ない。普段からやる。普段からやる人間でも同じことばかりしている人間は進歩しない。どうやるか。どう頑張るか。

 

頑張って報いが無いのが普通。だから報いは自分で創れ。

期待すると疲れる。頑張っても報いが無いのが普通ぐらいに思ったほうが良い。今の時代は少しのお金で楽しいことは出来る。頑張ったご褒美は自分で出して、自分で楽しみを作ったほうが楽で楽しい。

 

頑張ったと思う人間には報いを与える存在になれ。言葉一言で構わない。

期待する人間には尊敬の念をもって応えよ。言葉一つで報いが出来る。たったそれだけで信頼関係が生まれる。

 

リスペクトの感情が無い関係に発展はない。

尊敬の念と感謝の気持ちが関係性の原点だ。自分と直接関係あろうがなかろうが、相手の立場と想いを想像できる人間であれ。ほとんどの人間が尊敬できる部分を持っている。相手の立場と想いを尊重できれば必ず関係性は築ける。

 

いばらの道こそ近道。急坂こそ近道。峠道こそ近道。

めんどくさいことを後回しにすれば結果として遠回りになる。ゴールが見えているなら面倒でしんどいことこそ近道。そしてそこを乗り越えることこそ経験になる。辛いしんどいやりたくない道を先頭切って歩いて行け。

 

周りに合わせて回り道するのも必要だが、手ぶらで歩くな。荷物を抱えよ

相手に面倒ごとを強要するのは自分が楽をしていることになる。相手のペースに合わせてことを進めるのは大事。ただ、自分がゆっくり歩くだけでは何も成長しない。それ以上の何かをすることで背中を見せて周りを動かせ。

 

楽をするのは正しい。ただし、楽を普通にするな。楽をするために汗をかけ。後続の人間のためにトンネルを掘れ。

いばらの道こそ近道…と言って、同じ距離で舗装道路を行かないのはただのバカ。楽にできることがあるなら進んで楽をするべき。ただ楽になって空いた時間や、得られた余剰分をそのままにするのではなく、次にやる時にもっと楽をする努力を怠ってはいけない。また自分が居なくなった時のために道筋は示しておけ。いばらの道なら刈って通せ。遠回りならトンネルを通せ。わかりにくいなら立札を立てろ。

 

尊敬されたいと思うな。尊敬できない人間にはなるな。

尊敬されたいと思った瞬間に尊大になる。人を尊敬できなくなる。人間関係は合わせ鏡。作用反作用だ。尊敬されたいと思うなら尊敬の念をもって接しろ。

尊敬できない人間にはなってはいけない。侮るな、誤魔化すな、逃げるな、誠実であれ。

 

基本直球で勝負しろ。速く見せるためにいろんな変化球を覚えろ。

正攻法と呼ばれる方法があるならそれで勝負しよう。違った方法が得意でも、それが基本になれば周りと話も合わず、長続きしない。王道を進み、それでうまくいかなかった時のために、いろいろな方法を知っておくことが大事。

 

嫌いなことを得意にしろ。怖いものは安全を確保しろ。好きなことは他人に教えろ。

嫌いなものでも続けてやるうちに得意になる。得意になれば嫌いで無くなる。ただ、怖いものはどうしようもない。大丈夫なところから少しづつクリアしよう。自分の好きなことはやり方を楽しそうに教えよう。決して独占してはいけない。

人間関係でも同じ。嫌いな人こそ尊敬の念をもって接すれば見えてくる。怖い人は怒らせないように努めよう。好きな人には楽しそうに話すことに留め、独占を避けよう。

逆も然り。教育においては、嫌いなものこそクリアさせよう。怖いものは出来ることだけやらせよう。好きなことは教える立場にさせよう。また、尊敬の念をもって接すれば嫌われないし、理不尽に怒らなければ怖がられない。そして、教えるのがうまければ他人に好かれる。

 

自分の理想を他人に求めるな

他人に求めるときに必要なものは共通認識。これぐらいできるだろう…と期待しては疲れてしまう。共通認識を取っておこう。教育においても同じ。ゴール地点を単純に見せるのではなく、ゴール地点を認識させどこまでできるかの共通認識を取る。それが出来なければ、求めてはいけない。