2000年5月21日   インテリの悲劇   

 もとインテリ山中です、こんにちわ。大学時代から、文句言うならテメエでやってみろ、とよく言っていた私ですが、社会人になってからますますそういう心境ですね。

 政治とか、社会人になったら興味を持つものなのか、と思っていましたが、はっきりどうでも良いです。独身なので、お金にも興味なく、ただ休んでいたいだけです。政治なんかどうでもいいから、僕の売り場さえ何となかってくれればそれでいい、ってなもので、身の回り以外はほんとに見えなくなり、視野が恐ろしく狭くなります。ただ、視野が狭いということを侮ってはいけないと思うのです。

 たとえば僕は確かに社会の動きなんかどうでもいいのですが、社会の動きなんかどうでもいい人ってのはそれなりに自分の世界を持っているわけです。たとえば選挙に行かない人なんかでも、選挙に行かないのは選挙よりもっと大事なことが身の回りにあるからで、政治がどう変わろうと知ったこっちゃない人たちです。インテリたちは、「国民の大事な権利を棒に振って・・・」と嘆きますが、はたしてその一言で片付けられるのか、と言うとそうではないのです。

 さっき言った、文句いうならテメエでやってみろ、と言う一言がまさにそれで、実際遊びに仕事にクソ忙しいような人の立場にたってみたら、大切な休日なのに選挙なんかで頭なんか使いたくない気持ちだってわかると思います。わかんないんだとしたら、よっぽど暇なんでしょう。受験生に道徳の授業を延々とするようなもので、それが大切なものであっても、「今はどうでもいい」のです。

 だからこそ、その忙しすぎる毎日を変えるために投票にいけ、と言う人もいるでしょうが、「毎日を悪化させないために、体を休めておかないと」、と言う言い分もあるのです。下手に物事を知りすぎると、物事を知らない(知る暇もない)人の気持ちという、もっと大切なものを忘れがちになってしまうという一例です。政治がわからない人にとっては、投票など苦痛です。ほっといて欲しい人もいるのです。それがどうしてわからないのか。

 ひるがえります。政治家という職業は生半可なことではなれません。しかも毎日毎日まつりごとに携わる、政治のプロです。そんな優れた人たちがどうして国民の声という根本的なコトに気が付かないのか?

 インテリだからです。視野が広すぎて、他人の気持ちなんかわかりゃしない。一般性をなくしてしまった人たちは閉鎖系とならざるを得ないのです。

 だから、政治に期待しない。現実を直視しない。忙殺された人間の本音です。

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