明徳義塾 11-2 関大一
 

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スコア
明徳義塾(高知)

4

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1

0

0

3

3

0

0

11

関大一(北大阪)

2

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0

0

0

0

0

0

0

2

−力尽きた久保、復活の寺本

 あまりにも熱い、PL学園と横浜の試合が終わった。僕も興奮さめやらない。PLは負けたチームだが、最後にグランドに一礼してダッグアウトへ帰って行った。興奮する観客はもう一度PLに拍手を送った。ちょっと席を立ち、オレンジジュースを買いに行きながらその風景を見る僕には、その映像が芝居っぽく見えてならない。

「きたねえよ、PL」

風邪の熱というのはこうまでも人間をひねくれさせるものなのか。実際のところ、PL学園がグラウンドに礼をして去るのは今に始まった事ではなく、むしろどの高校でもやる事なのだが、あれだけの名勝負の後、そしてなきながら観客への挨拶をした後、その後グラウンドに一礼するのがどうも感動的すぎる。要するに手放しでPLを誉めるのが嫌だっただけなのかもしれない。ともかくも毒つきながらジュースを飲んで体を冷やす僕。そう言いながらもPLがグラウンドを去る姿を、若干の感傷とともに見送ったのだが。

 

 

 明徳義塾というチームは本当に強いチームである。PLと横浜も強いが、明徳義塾はそれと同じぐらい強い、と思っている(いや、横浜は別格かも)。高知はかつて、高知、高地商のほか土佐高校など多くの強豪がひしめき合っていた。現在もその状況というのはさほどに変わらないのだが、いつからか、高知といえば明徳義塾という時代がやってきた。明徳義塾は私立の学校であるから、ある程度強くなったら兵庫、大阪から選手が流れてきて、それで強くなった、という考えかたもできるが、僕は馬渕監督という天才的な指揮官あっての明徳義塾だと思っている。松井の4連続四球を指示したことなど、あまり良いイメージで思われていない監督だが、

「勝利を前提にして努力しなければ、努力している意味はない。」

という言葉を誰が否定できるだろうか。少なくともサッカー評論家のいうことをそのままに、「日本サッカーはもっとずるくなるべきだ。」とか、2死満塁の時に「打てないんだったらボールにぶつかってこい」と言う人間には馬渕監督を否定する権利はない。自分のできる最高のプレー(あの場合の敬遠)をして初めて、

「これで負けたら仕方がない。」

と思えるのではあるまいか。押さえることもできないのに勝負にいって打たれて負ける、こうやって文字にすると非常に馬鹿らしいことをあの頃の日本列島は指示していたわけだ。松井は敬遠されるために3年間バットを振ってきたわけではない、と言う方があるが、残念ながらその言葉は明徳にも当てはまる。松井に打たれて負けるために三年間練習してきたわけではないのだ。

 そうやって勝つことの信念を植え付けられてきた、明徳義塾の強さは、吉川がエースとなった年に印象を強くし、今年週刊朝日を買った時改めてその強さを知った。春までマスクをかぶっていた津呂橋がいつのまにか外野に転向しているのである。キャッチャーは二年生の井上で、津呂橋が転向したお陰で一人減った外野手レギュラー枠には、藤本が残って一番を打ち、それまでセンターだった生川に変わって、春にベンチ入りしていない谷口が入って、何と五番を打っている。寺本を除いてスターティングメンバーだけ見ればそれが明徳と分からないような姿になって夏に返ってきた。

 対する関大一は久保と西本の強力バッテリーで、選抜準優勝、北大阪大会を危なげなく勝ち上がってきたチームで守備は鉄壁、打ってもソツが無く、四番西本のスクイズでサヨナラを決めるなど、勝負強さも並みではないチームである。三振にこだわらずにスライダーで打たせてとる、熱闘甲子園では「クレバーな怪物」と表現された久保の右腕。明徳ファンの僕でも、明徳打線が久保をそう簡単に捕らえられるとは思えない。というより、まともなピッチングをすれば、まず大崩れが無い投手である。好投手がいるチームというのは大崩れしない、というのは定説のようであるが、実は各地方大会を見るとその例が顕著であるように、何でもないようなチームに打ち込まれたり、相手が好投手だと投げつかれて終盤打ち込まれたり、立ち上がりに打たれて修正が効かなくなったりするということはざらである。大くずれしないチームには、好投手がいて、好守備があって、さらに名将と呼べる監督がいるのが条件であるといえるだろう。近年チャンスがなかったのにいきなり春夏連続で甲子園に現われ、快進撃を続けた関大一高は、そういった波のないチームの典型的な勝ち上がり方で、投手が打ち込まれることもなく、また打線が打ったからといって気を抜くこともなく、落ち着いた勝ち上がり方をし、ごく当然のようにサヨナラゲームに勝って準々決勝に登場した。指導能力云々というのはどうなのかわからないが、守備型のチームとして形を崩すことなく、センバツ準優勝に奢らないでチームを指導してきた関大一の尾崎監督というのはやはり名将であろう。実力伯仲、そして名将同士の試合は、えてして後半に決着がつくものだ。もちろんこの試合でも、そういった落ち着いた試合が予想された。

 が、試合開始のサイレンは、高校野球の恐ろしさを存分に示す合図となった。スライダーと直球に切れがある投手である関大一校のエース久保は、確かに調子が悪かったそうだが、大崩れする投手ではない。悪ければ悪いなりに何とかできる投手であるはずだった。が、明徳義塾は安打に犠打、そして二連打、ショートライナーを挟んでホームランを浴びせた。金属バットであることもあっただろうし、立ち上がりいきなりヒットで鼻白んだことも合っただろうが、それにしても電光石火である。一瞬のうちにスコアボードには4の数字が刻まれた。いっしょに見ていたキジ君はなんだかわからないでいる。

「おー!おー?!明徳つえーな、おい。」

 それ以外に感想はなさそうである。いっしょに見ていた僕もそう思っている。試合の流れを見るのが趣味の僕でも、こんなのを見せ付けられたらそう思うしかない。ライブの感覚というものはそういうものらしい。

 一回裏の攻撃は、4点取られたら取り返せといわんばかりの大応援団に押されて始まった。関大一校、そして関大(関西大)の生徒あわせて、アルプスだけじゃ収まりきらない超特大応援団が大盛り上がりで応援している。外野席でも白いメガホンがゆれている。明徳義塾の応援団は、何かあったのかこの試合ではいつもより楽器が少なかったから、ブラスバンドが完璧な上に阪神ファンもひるみそうな関大一の大観衆はますます際立っている。どうやらお祭り好きの大学生(関大生)がその盛り上がりの中心らしい。それにしても球場がゆれそうなくらいの大声援である。平塚学園ほどの勢いはないが、何でも踏み潰してしまいそうな迫力と、その量とノリと、声の大きさは僕が見てきた中で一番すさまじい。何度かそういう雰囲気が打線に移るのを見ている僕は、ここで関大一打線が爆発するのを期待した。そしてやはり大応援団の思いは通じた。関大一打線、こちらも負けじと3連打重ねて電光石火の2得点。大乱戦を予感させる始まり方である。関大一応援団、ますます盛り上がる。

 が、試合は3回の明徳義塾二者連続タイムリーツーベースによってどうやら大勢決する。三回裏あたりから、関大生と見えるその一団の元気がなく、音量が半分近くに減ってしまったのだ。そういう雰囲気はまたグラウンドレベルに通じるものである。

「大学生疲れたらしいな。」

「えらくあっさりな…、また…。」

 二回以降立ち直った久保はたんたんと投球を続けるが、そう簡単に流れは変わらない。大崩れしないチームは着々と点を重ねるのは得意だが、爆発力はない。逆に流れが止まったのを引き寄せたのは試合中の流れ変えプロ、百戦錬磨の馬渕監督率いる明徳義塾であった。6回先頭打者井上のヒットから送って二塁にランナーを進め、下位打線でチャンスを作ると、上位打線がきっちりかえし、さらに連打で三点奪取。絶好調の明徳下位打線はその次の回にも三連打を浴びせ層の厚さを見せ付けて試合を決めた。

 僕らはなんだかがっかりしたような、気が抜けたような感じで、

「福井は遠いからなぁ。」

「電車が混まないうちに帰るか。」

 と試合が終わる前に球場を後にした。

見たかったなぁ、準々決勝4試合とも。福井にすんでいるのをちょっと恨んだ一日であった。

 

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